冠婚葬祭

2013年7月29日 (月)

大事な人とまたお別れでした。高木昭子さん。

Dscn3589 7月20日、参議院選挙投票日前日、高木さんの訃報が届きました。今年5月半ばに入院、病名は「すい臓がん」だったそうです。市内の病院へは何度か面会に行きましたが、最初は携帯電話で「今日はありがとうね」と会話がでDscn3591 きたのに、その後2ヶ月でついに逝去されました。(85) 高木さんは、小学校の恩師、碓氷安中ユネスコ協会で一緒に役員をしていましたが、松井田町で「国際交流」をやりたい、と二人で駆け回って設立Dscn3593 したことが今のMIAにつながっています。 ことに、外国人英会話助手〈ALT〉への日本語指導では大きな功績を残されました。ジャスティン、ミンディ、ミッシェル、ジェニファーたちが死を悼む言葉が多数寄せられました。彼女の残したものがあまりに大きくて、これからの私たちの活動にも影響が出てくることは必至です。でも前を向いて頑張っていきましょう。天国から見ている高木さんに笑われないように。それにしても、彼女が訪れた世界の国々の地図を見てあらためて驚かされました。高木先生ありがとうございました。

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2011年5月29日 (日)

故宇津野洋一さん、お別れ会がありました。

201105281328 「政治革新ひとすじに生きた」高崎選出で日本共産党の県議会議員を7期努め03年4月引退し、ぐんま住民と自治研究所理事長をされていた宇津野洋一さんが病のため逝去されたのが11年3月23日、おりしもいっせい地方選挙のさなかだったため、実行委員会の有201105281516 志が28日、高崎で「宇津野洋一さんとお別れする会」を開き、約300名余の縁ある人たちがお別れの献花を行いました。宇津野さんは、沼田に生まれ、小さい頃漫画家になるのが夢だったそうですが、沼田高校から一橋大学経済学部に進み、たまたま「血の」中央メーデーに参加、社会の矛盾を学ぶ中で日本共産党に入党、郷里に帰り高崎商業高校に就職をし教壇に立つが党の専従になり、3回目の挑戦で県議に当選、その後落選、衆議院選出馬など経験しながら、7期勤めました。この間、群馬県議会内外で政治革新のために大きな働きをされました。私の初めての選挙にも「応援」に駆けつけてくれたこともありました。夫人のユキさんの話では、もともと高血圧の体質で、健康管理をしながらがんばっていたようですが、昨年11月朝、新聞配達のあと脳溢血で倒れ、リハビリするまで回復したものの、マヒ性イレウスと急性腎不全を起こし急逝されました。お別れの言葉は、小菅啓二日本共産党群馬県委員長、松浦幸雄前高崎市長、関好正地元長寿会長、山田秀一高商同僚教諭、菊地定則群馬県平和委員会会長、伊藤祐司県議会議員らが述べました。心からご冥福をお祈りいたします。

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2011年5月 4日 (水)

甥が結婚しました。縁結びができてうれしくて胸が熱くなりました。

2011429_021 兄に続いて弟も何とか結婚にこぎつけることができました。7歳違いの姉ですが子どもたち二人は、なかなかおとなしすぎて相手2011429_048 が見つからず心配していましたが、私の友人の娘さんたちを引き合わせたら幸いに、人生をともに歩む決意をしてくれたようで2011429_051 す。まだ選挙の疲れが残る29日、高崎ワシントンホテルにてリーズナブルな結婚式、披露宴を挙げてくれました。最初のあいさつに立った私は、人前結婚式の席上、誓いの言葉を読む甥の顔の中に、どういうわけか母の面影が浮かび上がってきてしまい、胸が熱くなりお祝いの言葉がいえなくなりそうで困りました。「この人はと両目でよく見極めて夫婦になったからには、これからは片目でお互いを見て、許しあえる仲でいってください」と述べました。一人でいるほうがどんなに気楽で暮らせるこの世の中で、苦労を共にすることを誓って夫婦になってくれた若者に乾杯。おいしいお酒をたくさんいただきました。

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2010年4月24日 (土)

龍本山松井田院不動寺(Fudouji temple)で法事がありました。

2010117_012 松井田町では最も古いお寺ということで有名です。宗派は真言宗豊山派の寺院で本尊は千手観音で鎌倉時代の作と言われ、2010424_007 国宝に指定されてもおかしくない仏像です。この日、父の従兄弟、金井良恭17回忌、妻京子一周忌、良恭弟三郎四周忌、の法要 があり出席しました。良恭の父、彌十郎は私の祖父辰三郎の兄で、曽祖父、清八の次男です。長男は七太郎でしたが、金井家の跡を相続したのは三男の辰三郎でした。良恭さんは長く教員を務め84歳、京子さんは87歳で亡くなりました。子どもは三人の姉2010424_014_2 妹で、長女の紀子さんが昭和音楽大学の教授、ピアニストで松井田町の秋のコンサートなどでお世話になっています。次女純子2010424_019 さん、三女祥子さんたちも横浜、松戸と離れて暮らしているので、なかなか会う機会も少なく法事くらいでしかあえない状況です。今日は、寺で法要の後、磯部ガーデンホテルで食事をして帰りました。写真2は本尊の千手観音様の写真です。4は、磯部ガーデンホテルは「舌切り雀」の民話のふるさととして有名で、ロビーで人形のセットがあり、民話が紹介されています。

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2010年2月20日 (土)

ひな人形を飾りました。雨水に飾ると良縁が。

2010220_001 昔から雛人形を「雨水」の日(今年は2月19日)に飾ると、その女の子に良縁がある、という言い伝えがあります。あいにく私がその日を知ったのは最近でした、節句が過ぎて早く2010220_006 雛人形を片付けないと、その子は嫁に行きそびれる。なんていう話は聞いてはいましたが。そんなわけで娘も早29歳になってまだ縁談の話はありません。この際雛人形でも飾って、本人の気持ちを刺激してみてはどうかと思い立ち、しばらくぶりに内裏さま、三人官女などだけ出してみました。内裏雛を包んであった新聞紙は25年前のものでした。歳月人を待たず。光陰矢のごとし。写真:下の真ん中の内裏雛は、金井家に伝わった「享保雛」で、昔から蔵の中にありましたがねずみに食われてしまうので、20年前に松井田町に寄付、今は茶屋本陣で毎年飾ってもらい、祝ってもらっています。001 (茶屋本陣の雛人形展は2月16日から始まっています、3月下旬まで)

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2009年1月27日 (火)

2009年の新年会、10席でほぼ完了しました。あいさつも大変でした。

9125_009_2 新春のことはじめには新年会がつき物ですが、例年招待される定番の団体があります。今年も、10席、プライベートを含めると12席?、重なってしまって失礼したのが1席ありました。それぞれに、上席であいさつを頼まれますので、大変です。いつも同じの内容では失礼ですから、なるべくその団体、主催者に関係のある事柄、ニュースをもとに話します。25日は最終日、3団体の新年会がありました。 午前10時から老人クラブ連合会の席でした。(写真)私は「昨年のあいさつで、後期高齢者医療制度が始まり、お年よりは大変な年になります。と紹9125_007_5 介しましたがそのとおりになりました。全くひどい差別医療制度、全国で大きな反対の声が上がっています。75歳になりましたね、これからは何も心配せずに具合が悪かったらいっさい国が面倒診ますから安心して暮らしてください。・・・これが本来の福祉ではないでしょうか?介護保険も大変です。今年で10年目、また保険料を上げる計画です。先日テレビを見ていたら新宿の老夫婦「夫を殺して私も死のうと思ったことがある、でも親戚などのことを思ったらできなかった」という老老介護の切実な話がありました。こんな世の中どこかおかしいですよね。皆さんが安心して暮らせる社会にしていきましょう。」と述べました。お酌をしながら、はなしをきくと「金井さんのような人がいてくれて、ほんとに助かります」と言う声がありました。12:00からは磯部温泉会館、今度は「アメリカでオバマさんが黒人で初めての大統領になりました。日本でも、今年行われる総選挙で是非、政治をチェンジさせましょう」と話しました。最後は、湯の川別館で地元区長さんを前に、安中市の緊急雇用対策事業、イノシシ対策電柵事業についてはなし、要望を寄せてほしいと求めました。 これでようやく正月行事が終了し、正常な活動に入れそうです。でも今年は前橋の選挙で通常とは少し変則になるようですが。

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2009年1月23日 (金)

人権連市協の新年地域交流会ひらかる。あいさつと歌を紹介しました。

091_002_2 地域人権運動連合会安中市協議会(中村隆弘さん委員長)の新年旗開き(交流会)が磯部かんぽの宿で開かれ安中市長、安中市教育長、安中市議会議長、安中市福祉部長、人権連群馬県協議会委員長などと共に安中市日本共産党市議団が招待されました。来賓あいさつの中でわたしは「アメリカでは始めての黒人大統領が生まれ、大きくチェンジの年となった。リンカーンの奴隷解放宣言から150年、キング牧師の公民権運動から45年、翻ってこの日本は、相変わらずの、悪政と混迷政治、自公政治は終わりにして、今年の総選挙で大きく政治革新、変化の年にしましょう」と話しました。宴会もたけなわとなり、カラオケを求められた私は「松井田町歌」をアカペラで歌いました。これは松井田町合併30周年記念(S59年)に募集し制定されたもの、安中市となった今は幻の町歌となってしまいました。でもとても良い歌なので皆さんに紹介しています。歌詞を書いてみます。083_011_2     1  かみつけの西のみなもと 水きよきうすいの うすいの川よ 妙義嶺の若葉かがやき うまれ立つ風は 風はさわやか ああ 花かおる花かおる まついだ われらがふるさとわれらがふるさと  2 かみつけの西のやまなみ ひなぐもるうすいの うすいの坂よ さきもりの歌なつかしく 関所あともみじも もみじもゆかし ああ 夢さそう夢さそう まついだ われらがふるさとわれらがふるさと   3 かみつけの西のまほろば 茜さすうすいの うすいの里よ 喜びのこころあわせて 明日を呼ぶ力 力あふれる ああ 栄えゆく栄えゆく まついだ われらがふるさと われらがふるさと (作詞は現松井田文化協会支部長の清水正之さん) 

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2009年1月13日 (火)

虚空蔵菩薩祭典が本丸跡で開かれました。

09113_004 毎年1月13日は、虚空蔵菩薩をお祭する日です。普段は高梨子の無住の寺「玉泉山無量寺」に安置している菩薩像を、標高約450mの、松井田城本丸跡の城山まで運び、一日お祝いをしています。虚空蔵菩薩は「丑、寅年の守り本尊」としてあがめられています。今日は、風が強く寒い日でしたが森の中は比較的穏やかでした。昔の賑わいについては前回述べましたが「本尊様」などを信心するお年寄りが少なくなったせいか、年々参拝客が減っています。それでも毎年来てくれる人との再会で「おめでとうございます、今年もよろしく」などと挨拶が交わせるのが何よりの喜びです。せっかくここまで登ってきてくれる人のために「モチ花」を用意して、持ち帰ってもらいました。昨日は、お供えや煮しめ、お赤飯つくりなどと、妻は夜中まで奮闘してました。おかげでおいしい料理を食べながら一日、と言っても3時ごろまで、祠で過しました。参拝客は約20人、店じまい寸前に下仁田から姉妹で「山城が好きであちこちに09113_006_2 登っていますが、いいところですね」と言って犬を抱きながら若い女性が訪ねてくれたのが一番の収穫でした。もちろん、「松井田城物語」を聞かせてあげましたけれど・・・。また来年までさようなら。

09113_010_2 ◎上から、菩薩像(安政4年の作です)、中・小さな祠で一日過します。下・モチ花(手前の樫の葉につけたもち)と祠。

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2009年1月12日 (月)

成人式、安中の新成人は665名、70%ほどが出席しました。

11_004_2 12日が成人の日ですがほとんどの市町村が11日の日曜日に行うようです。安中市では19年の成人の日から安中文化センターで開いています。私は初めての参加でした。式典は昔から変わり映えしないオーソドックスなスタイルで行われました。開式前には、地元の谷津太鼓の皆さんが演奏してくれました。あいさつは、市長(式辞)、議長、県議とあり、最後は新成人の男女2人が意見を述べました。印象に残ったのは安藤あゆみさん(新堀)の言葉、9年前に父親をなくしたが、今は大学でダンス部長としてがんばっている。家族、親戚、これまで世11_013_2 話になった皆さんにありがとう、と言いたい。というものでした。 もうひとつは、 来賓の席はステージに一番近い最前列からでしたが、太鼓の演奏中、新成人の席(うしろの方)のざわめきは止まることがありませんでした。演奏よりもおしゃべりに夢中って言う感じでした。式典のあとは、各旧町村ごとに分かれて写真撮影でしたが、奇抜な着物やヘアースタイルに毎年驚かされるのが最近のファッションでしょうか。ちなみに新成人の数ですが、原市140、安中114、板鼻55、磯部53、東横野47、秋間28、岩野谷27、後閑16以上が安中、西横野51、松井11_009_2 田23、九十九21,細野21、臼井16、坂本8人が松井田町です。よく見ると原市の人数と松井田町全部の合計が同じになっています。なお市外からの申し込みが45名ありました。全員で665人ですが出席率は70%ほどだそうです。

◎2枚目は安藤あゆみさんのスピーチ、3枚目は美女5人組、最後は玄関前で記念撮影、好転に恵まれてよかったですね。私の娘のときは大雪で大変でした。

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2009年1月11日 (日)

どんどん焼

11_001_2 昔からの正月の行事、もともとはわらで作ったしめ縄や松飾を燃やした火で、まるめた繭玉(団子)を焼いて食べると風邪を引かない、または厄年のものはこの日小正月の前の日すなわち1月14日に、みかんやお餅を集まった人に分けてあげると厄払いができるという言い伝え(慣習・風俗)で村々の辻(多くは道祖神などのある場所)で火をたいていました。地域によって子どもたちが竹で作った飾りの中で一晩寝泊りしていたところもありました。  現在では、辻ではめったに行われず、麦が栽培されなくなった冬田で、子ども会育成会などが中心にもっぱら、子どもたちに繭玉を食べさせたり、みかんやお菓子などを配って楽しませる目的で行われるようになりました。したがって日取りはその年によって変わります。ことしは11日が多かったようです。(写真は高梨子で行われたどんどん焼き)

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