旅行・地域

2013年5月13日 (月)

みちのくの桜を見てきました

Dscn2987s みちのくの三大桜、世界遺産を訪ねて、といったツアーに妻が申し込み、連休最後に行ってきました。先ずは新青森から参加者は3家族8名といった小さなチームで「弘前城の桜」、この日、5日の気温は10℃前後で寒いくらい、連休以前も寒くて開花が大幅に遅れている様子。それでもこの日が最高の人出とか、31万人だったそうです。泊まりは、田んぼの中の南田温泉「アップルランド」、いい湯でした。次ぐ日は、鯵ヶ沢から五能線に乗っDscn3034s て十二湖まで、またバスで白神山地、雨の中を「青池」などを散策、元「サンタランド(青森県深浦町の第三セクター)」で昼食、そして「陸奥京都」角館の桧内川の堤のさくらは、6~7分咲き。おいしいお酒と「いぶりDscn3051s がっこ」で一杯。武家屋敷を見学して宿は、繋(つなぎ)温泉紫苑ホテル。最終日は、小岩井農場の一本桜に立ち寄りましたが、花は見えず、北上市立公園「展勝地」の堤防のさくら、ここは平年並みなのかすでに葉Dscn3071s 桜、さくらまつりが昨日まで。しかたないので「サトー八チロー記念館」で時間つぶし。最後の見学地は世界遺産「平泉・中尊寺、毛越寺」、雨が降ったりやんだりのなか金色堂、大庭園などを見て仙台駅まで。地元の人たちも異常気象で人でも少ない。と言っていました。夏が寒くなければよいですが・・・。1、弘前城天守閣、2、桧内川堤のさくら、3、金色堂、4、毛越寺の「曲水の流れ」

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2013年3月25日 (月)

旧松井田町立坂本小学校で閉校式がありました。

Dscn2771s 明治8年〈1875〉、第一大学区第19番中学区第80番小学区坂本学校、明治14年、第10学Dscn2756s 区碓氷第7小学校、明治17年、坂本小学校、明治19年、坂本尋常小学校、明治29年、坂本尋常高等小学校、大正12年、坂本Dscn2752s 実業補修学校、昭和16年、坂本町国民学校、昭和22年、坂本町立坂本小学校、昭和29年、松井田町立坂本小学校、昭和36年、Dscn2741s 松井田町立第3小学校、昭和60年、松井田町立坂本小学校、平成18年、安中市立坂本小学校。平成25年〈2013〉3月閉校。138年間に11回も学校の名前が変わっても、校舎はほぼ昔のまんま。この間、卒業生を送り出した数が2,800名を超します。学校がなくなるということは、138年以前の村の暮らしに戻るということ。子どもたちの声が聞こえなくなる。さびしい限りです。

3月24日、坂本小学校体育館で「閉校式」が行われました。全校生徒9名で演奏した、マーチングバンドは、感動的でした。会場に飾られていた明治23年の卒業証書「荒川はま」さんは、妻の祖母でした。

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2013年2月13日 (水)

休暇で暖かい島ハワイへ行ってきました

Dscn2125 寒い日が続きますが、皆さんいかがお過ごしですか。しばらくぶりで休暇を頂いて、南の島へ行ってきました。でもこの時期は「雨季」のためか、夕立に何度か見舞われ雨具を持たなかった日はびしょぬれ、持っていっDscn2123 た「使い捨てカイロ」の世話になりました。パールハーバーの第二次世界大戦記念館では何と、日本の「人間魚雷・回天」が展示してありました。日本軍の奇Dscn2148 襲によって、1941年12月7日、沈められた戦艦アリゾナ号がそのまま浅い海に置かれ、観光客がそれを見られるようDscn2160 になっていました。攻撃のあとでは日本人(日系人)は、「ハワイで生まれたにもかかわらず、お前たちはアメリカ市民ではない!ジャップめ!」といっDscn2181 た差別がひどかったといいます。しかし、アメリカ本土のように「収容所」に送られたのは一部の日本人だけで、多くはボランティアとして病院建設などに協力して市民権を守ったということです。ちなみに当時、日系人を全部収容できる場所がなかったほどハワイの人口の半分ほどを日系人が占めていたということです。現在は42%が日系人。中でもダニエル・イノウエ氏は長く上院議員をつとめ有名でした。日本人の移住は1868年に始まり、サトウキビ畑やパイナップル園で苦労して働いて今日の基礎を築いたということを「Japanese cultural center  of Hawaii」でみてきました。26℃の国から帰ってきたら、5~6℃、また雪が降って風邪がぶり返してしまいました。写真1,2 ワイキキビーチで 3、記念館入り口、4、日本海軍が開発した「一人乗りの自殺兵器」人間魚雷「回天」(内部まで見せている) 5,1,177名の水兵が殺されたというアメリカ海軍、軍艦「アリゾナ号」記念館

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2012年11月30日 (金)

りんご狩りで安曇野「貞享義民記念館」と松本城を見てきました。

Dscn1737 日本共産党安中市後援会で、恒例のりんご狩りを実施しました。2台のバスで信州安曇野、「ちひろ美術館」の隣のリンゴ園でおいしいリンゴDscn1750 を食べました。次に、「貞享義民記念館」に立ち寄り、今から330年ほど前安曇野で起きた「百姓一揆」、その頃気候変動がたびたびあり、6,7年に一度くらい凶作が襲ったといDscn1749 います。藩では年貢が納まらなければ財政に窮するため、百姓には容赦なく年貢を押し付けていた。高い年貢に怒った「加助」という名Dscn1759 主を中心とした百姓約一万人が松本城を包囲、いったんは年貢の減免を約束させましたが、藩側は加助らに磔、獄門という厳しい刑罰に処したといいます。この騒動が明治時代の自由Dscn1769 民権運動の高まりの中で「人権家、加助」の評価が起こり、犠牲者たちの名誉回復と慰霊が行われ、県内でも広く語り継がれるようにDscn1783 なったということです。この記念館も平成4年に開館。多くの見学者が訪れています。館内では、スライド上映や数多くの展示品を公開しています。

Dscn1788 次に「松本城」、寒い日でしたがたくさんの観光客が天守閣に登り、城の中は交通渋滞でした。

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りんご狩りで安曇野「貞享義民記念館」と松本城を見てきました。

Dscn1737 日本共産党安中市後援会で、恒例のりんご狩りを実施しました。2台のバスで信州安曇野、「ちひろ美術館」の隣のリンゴ園でおいしいリンゴDscn1750 を食べました。次に、「貞享義民記念館」に立ち寄り、今から330年ほど前安曇野で起きた「百姓一揆」、その頃気候変動がたびたびあり、6,7年に一度くらい凶作が襲ったといDscn1749 います。藩では年貢が納まらなければ財政に窮するため、百姓には容赦なく年貢を押し付けていた。高い年貢に怒った「加助」という名Dscn1759 主を中心とした百姓約一万人が松本城を包囲、いったんは年貢の減免を約束させましたが、藩側は加助らに磔、獄門という厳しい刑罰に処したといいます。この騒動が明治時代の自由Dscn1769 民権運動の高まりの中で「人権家、加助」の評価が起こり、犠牲者たちの名誉回復と慰霊が行われ、県内でも広く語り継がれるようにDscn1783 なったということです。この記念館も平成4年に開館。多くの見学者が訪れています。館内では、スライド上映や数多くの展示品を公開しています。

Dscn1788 次に「松本城」、寒い日でしたがたくさんの観光客が天守閣に登り、城の中は交通渋滞でした。

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2012年9月30日 (日)

川越からのお客様を碓氷峠鉄道文化財へ案内しました

Dscn1187 川越市日本共産党後援会の一行、約60名が碓氷峠鉄道文化財など見学に訪れました。かつて、「信越本線をまもる運動」を共に頑張っDscn1191 た友人の紹介で案内させていただきました。まずは、めがね橋の見学、ここで健脚コースは、4月から整備された「旧熊ノ平駅」までバスで移動し下るコース。その他はめがね橋からDscn1194 碓氷湖、峠の湯までの比較的短いコースに分かれて歩きました。ほぼ半数が熊ノ平からのコースに参加して、トンネルの中を歩きましDscn1197 た。台風の影響もあって、午前中は汗ばむような陽気でしたが午後には、細かな雨がさわさわと流Dscn1198 れるように降り始めましたが、一行は昼食を峠の湯レストラン「亜符止」(おぎのや経営)で、釜飯を頂いて、温泉に入る人と、横川まで下って「鉄道文化むら」を見学するコースに分かれて楽しんで帰ったようです。これからは秋の紅葉が美しくなり、観光客も増える季節になります。写真1.めがね橋をバックにみんなで記念写真、2、第6号トンネルが約600メートルで一番長いトンネル、途中に明り取りや天井部に煙出しの穴が空いています。3、6号トンネルを抜けるとめがね橋、下に旧国道18号が、4、峠の湯前で記念写真、5、川越の市議さん(左端柿田有一さん)と右女性は、埼玉7区衆議院予定候補の長沼ちねさん)

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2011年7月24日 (日)

湯布院・黒川・熊本城を訪ねました 久々の旅でした

201171316_013 去年から選挙活動などでなかなか旅ができませんでしたので、ようやく二人の休暇を合わせて九州を旅しました。一日目は湯布201171316_019 院で雨にたたられましたが、翌日からは快晴、でも風があり群馬にいるより割りと涼しい日々でした。湯布院では、別府に勝る観 201171316_076_2 光客が、それも若い人たちが多く見受けられ、中には台湾からの観光客が目立ちました。黒川温泉までは定期観光バスが山の 201171316_058 中を4時間も走り到着、やはり山の中ですが狭い温泉地に個性的な旅館、ホテルが散在し、「湯めぐり」でいろんな温泉が楽し201171316_083 めるということから、8年ほど前、一時は平日でも道が人で埋まったと言います。どちらの温泉地も派手な飾りやネオンもなく素朴で静かなたた201171316_079 ずまいが人気なのでしょうか。黒川から熊本までは「阿蘇山」経由、噴火口にも登ってみましたが強い硫化水素の匂いがのどを201171316_104 刺激します。ここは台湾、韓国、スペインからの客に会いました。熊本城は90ヘクタールもある城の範囲にたくさんの施設ができ201171316_110 て観光客は年間、多いときで200万、今は100万人ほどだそうです。加藤清正が晩年、天皇を招いて住まわせるための(?)201171316_138 「昭君の間」などが復元されて公開されています。石垣と宇土櫓が見ものでした。一週間遅れたら台風6号で日程も狂っていたでしょうが、大事無いうちに帰ってきました。

写真1上から見た富士山、2観光列車「ゆふいんの森」の中、ガイドがあいさつ、3、役から見た由布院岳、4、馬車で一回り、5、6、黒川温泉の淀の湯、7、8、阿蘇さん、草千里、9、熊本城天守閣の前で

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2011年5月14日 (土)

非戦の会で信州の旅へ、ちひろ美術館と田淵行男記念館など

2011514_007 非戦の会(中嶋昇太郎会長)のツアーで信州・安曇野に行ってきました。やや1ヶ月季節が遅れている信州、それでも天気に恵ま2011514_008 れて気持ちのよい旅ができました。はじめに田淵行男(明治生まれ)記念館、日本の山岳写真と蝶や昆虫、植物に関しての研究2011514_011 者として有名です。膨大な写真の中で、私が気に入ったのは「雪形」、残雪が融ける過程で山肌に残るさまざまな形を人々は、2011514_025 馬、おじいさん、娘、種まきなどの形に名前をつけて親しんできました。白馬村の馬の雪形は有名です。それらを記録していたこ2011514_035 とに興味が持てました。その他、蝶のスケッチなども繊細でした。1975年のNHKテレビ小説で、主人公のモデルになったと記録が2011514_043 ありました。次に行ったのは「クラフトパーク(池田町立美術館)」、谷を隔てて北アルプスが目の前に広がる絶景の斜面です。説明2011514_049 版には『most beautiful village of Japan』(日本で一番美しい村)とあり、スケッチをしている人が大勢いました。最後は「安曇野ちひろ美術館」広い敷地と館内にはたくさんの人が絵本原画、ちひろの生涯の鑑賞に来ていました。とにかく天気が良くてすがすがしい一日をしばらくぶりに、のんびり過ごしました。次回の非戦の会は7月23日、磯部温泉会館で総会と「冷泉公裕」(俳優、歌手)の唄と一人芝居があります。どなたでも参加できます。お出かけください。写真3が、雪形の種類を記録したスケッチ。

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2010年11月27日 (土)

無言館、松代大本営跡見学ツアー、非戦の会で。

20101123_002 23日、非戦の会(中嶋昇太郎会長)が募集した「無言館・松代大本営跡見学ツアー」に20101123_003 参加してきました。無言館は「芸術を志した若者が、美への執念を捨てがたく戦地に赴20101123_008 いたがむなしく帰らぬ人となったことを残念に思い、その遺作となった描きかけの絵や20101123_010 作品を全国から集めて展示している美術館(窪島誠一郎館長・水上勉の息子)」ですが、今年4月に訪ねて以来3回目の訪問でした。

20101123_025 松代大本営跡は、第2次世界大戦終戦前夜、アメリカ軍の空襲に危機感を持った軍部が、国民に内密に、ひそかに天皇と大本20101123_051 営の本部をここに移し、空襲にも耐えられる山の地下壕を掘り進めていた場所。数多くの強制連行された朝鮮人が、劣悪な条件20101123_044 の下で働かされ7000人とも、言われる多くの人が犠牲になり、どこに埋葬されたかもなぞのままだといいます。軍国政府の極度に狂20101123_038 わされた世界観のなかで、愚かな計画が本当に実行されたことが、事実を持って語られています。いまさらながら戦争遂行者たちの愚かさを考える良い場所ともいえるでしょう。しかし終戦で未完に終わりました。写真1、2無言館入り口、3、別館(割かれた画布のド-ム)の中にある図書館、4、軽食、喫茶店、5、地下壕を案内してくれた保存会の今井さん、6、壕の入り口、7、壕の内部(一部が照明つきで公開)、8、生き証人の崔さん(朝鮮人)の証言で、壕の採掘状況が明らかになりました。壕の内部にハングル文字が残されています。

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2010年9月30日 (木)

夢二記念館を訪ねました。60歳の誕生日

201092526_001 昨年が竹久夢二の生誕125周年でした。伊香保温泉に夢二記念館があるのは知ってい201092526_007 ましたがまだ行ったことがありませんでした。誕生日のお祝いに伊香保を訪ね、「大正ロマンの森」「竹久夢二記念館」をじっくりとみてきました。夢二は、明治17年、岡山県で生まれ、ここ群馬の榛名山一帯が気に201092526_036 入っていて、榛名湖畔にはアトリエも作っていました。伊香保にも、数多く滞在して絵や詩を作りました。記念館には夢二が残した膨大な作品のごく一部が展示されていましたが代表作で恋人の「彦乃」を描いた「黒船201092526_054 屋」は、年に2週間だけの公開でしかも予約制だというので見逃してしまいました。またの機会にします。夢二は大正期の小説、絵本、雑誌などあらゆる本の挿絵も描いたり、封筒、便箋、広告、着物の図案など広くその才能を発揮した画家であり、詩人でもありました。「宵待ち草」(まてどくらせどこぬひとを宵待ち草のやるせなさ、今宵は月も出ぬそうな)が有名ですが、一説には「当時無実でありながら権力の弾圧に倒れた、幸徳秋水事件を嘆き、この歌を作ったともいわれているようです」記念館では狭いホールで前橋のピアニスト安達淳一さんがピアノを弾いて生徒の内田栄子さんがこの歌を歌っていましたが、最後に20人ほど、みんなで一緒に歌いました。夢二は最初の奥さんに先立たれたあと、一回りも違う彦乃と愛し合うようになりましたが、周囲から反対され、榛名山を後景に彦乃をモデルに多く描いています。病弱だった彦乃(管内に写真も展示されている)の、繊細な美しさが多くの絵に永遠にのこされました。緑陰の中の静かな記念館です。写真1、記念館の前庭コケが美しかった。2、記念館入り口、3、夢二のアトリエから見た榛名富士、4、パンフレット

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