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2011年7月

2011年7月31日 (日)

市民団体との裁判、上告の提起がありました

201171316_013 27日、第4回臨時議会が開かれ「上告の提起」が提案され「賛成多数」で可決成立し、裁判は最高裁判所で審査されることになりました。この裁判は、市内の地域づくり団体「未来塾(松本立家代表)」がフリーマーケットの開催をめぐって岡田義弘市長、ほか市の幹部と懇談したさい未来塾の一人が「眼を見て話をしろ!」などと、怒鳴ったことなどを、市長が市の広報に「談話」として載せたことが、団体の名誉が毀損されたと、市と市長を相手に平成19年12月、提訴したことが始まりです。一審では、棄却になり、団体が控訴していましたが平成23年7月13日、東京高等裁判所の判決は「本件談話を掲載した広報を市内全戸に配布した行為は未来塾の社会的評価を低下させるものと認める」と述べ、団体の主張を一部認め国家賠償法にもとずいて損害賠償請求額400万円のところ、80分の一、5万円を支払え、というものでした。 市側はこれを不服として最高裁へ上告したい、と訴えの提起を提案しましたが、もともと、この広報に談話を記載するということ事態、市長の独断だったことがあきらかで、団体側から市議会へ「談話を取り消し、反論させるようにという趣旨の請願」が出されたことがありましたが審議未了で結果が出されませんでした。 当日の本会議では日本共産党安中市議団から「最高裁は事実確認はせず、法的に妥当かどうかしか審査されない、結果はどうあれ発端は、談話で団体の評価を低下させたことは事実で裁判を早期にやめることを市民は望んでいるのでは、名誉毀損とは、事実はどうあれ行為によって相手の評価を落とすことが対象になるという、高裁判決を受け止める気は無いのか。」と質問し、「この問題は市民との協働を柱にしている「市の総合計画」にも逆行している。早期に和解することを市民は望んでいる。」として反対の意見を述べました。採決は、反対が日本共産党安中市議団2名、民主社民クラブ2名、民声クラブ2名の6名で、賛成多数(17名)で可決成立しました。 さて、市民の皆さんはどうお考えでしょうか。

写真は、7月13日羽田から福岡へ向かう途中上空から捉えた富士山

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2011年7月29日 (金)

議会報編集委員会で亀山市、蒲郡市を訪問しました

7月25,26日と議会報編集委員会(金井久男委員長)で、先進地視察を行い三重県亀山市、愛知県蒲郡市を訪ね、それぞれの編集対策などDscn6755 勉強してきました。私は、新安中市になって編集委員には初めてでしたが、全国ではいろんな議会報が作られています。亀山市は、旧東海道の46番目の宿場町、小さい市ながらDscn6760 シャープ電気の液晶画面の最先端工場がある市として有名、財政力も1・39と地方交付税を配分されない自主財源が豊かな自Dscn6764 治体です。議会報も年5回発行、最高で33ページも編集し、市民に配布しているそうです。それに加えCATVでの議会中継放送、Dscn6788 インターネット放送も手がているそうです。   次の訪問地は蒲郡市、三河湾に面した風光明媚、古くから文人墨客に愛された温泉Dscn6794 地にも恵まれた落ち着いた街、公営ギャンブル「モーターボート(競艇)」で、20億円も一般会計に繰り入れているのに、ギャンブDscn6796 ルの街といった印象はありません。花火製造でも有名で玄関ロビーには「正3尺玉花火」が展示されていました。天空で350メートルも広がるそうです。亀山もこの市の議会報も議員の一般質問なども、ほとんどが議会事務局職員が原稿を書き上げて、発行しているようで、その点では安中市議会の方が議員の責任を果たしているのかな、と思いました。 宿泊したのは名古屋駅の前でしたが早朝の散歩で、市民の台所、柳橋中央市場を見物してきました。Dscn6778 (7) 写真、上3枚が亀山市、3はシャープの正門前、5は蒲郡市議会議場で、6は3尺玉花火

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2011年7月27日 (水)

冷泉公裕(れいぜいきみひろ)さんのライブコンサートIN磯部がありました

Dscn6736 非戦の願いを継ぐ安中松井田の会(代表、中嶋昇太郎)が設立以来10周年を記念して総会と記念コンサートを開きました。こDscn6740 の会は、安中市の先覚者として明治時代、日本の満州国への侵略を批判して「非戦」を唱えた牧師、柏木義円を顕彰しながら、Dscn6742 今の時代を生きる私たちの責任として「何か」を訴える活動をしましょう。という趣旨で始められた市民活動です。総会のあと安中市鷺宮に住まいを持ち、東京と安中を行き来しながら、芸能活動をされている冷泉公裕さんを招いてのコンサートの夕べを開きました。冷泉さんは俳優で、NHK大河ドラマ「天地人」では、地元安中市にある名刹「長源寺」の住職役で出演、武田信玄を支えた名将「山本勘助」をかくまい、説示したお坊さんとして記憶に新しいところです。本人は歌手志望で活動した頃、シャンソンの大御所「石井美子」さんに認められ、歌手活動にも励んだようですが俳優業が自分には向いていると判断し文学座に入団、ライブ活動も続けながら、歌を歌っています。この夜は、シャンソンをはじめ、10曲ほど歌ってくれましたがなかなか、渋くて心に響く歌を聞かせてもらいました。私は最初に歌った島崎藤村の詞による、歌とリスボンの歌が印象的でした。最後に語りとして「シャリ炊き兼さん・松本兼吉の事」として、東京大空襲(1945年3月10日)で亡くなった、すし屋職人の兼さんのことを約20分、じっくりと語ってくれました。冷泉さんのCDが磯部の直売所で販売されているそうです。是非聞いてみてください。写真3枚目は、中嶋代表とのトーク。

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MIA(安中国際交流協会松井田支部)のバーべキューがありました

2011723_002 恒例になったMIAのBBQパーティが細野のツリーハウス(黛丞さん管理)で、23日に行2011723_007 われ、36名が参加してにぎやかにできました。新しい友達が、ダンさん(日系人2世、カ2011723_006 リフォルニアから)、トムさん(アメリカ人、軽井沢で宣教師)、ニャンさん(ベトナム人、現2011723_014 在はカリフォルニア在住)、片岡さん(安中市出身で福島県浪江町在住、原発災害で2011723_026 実家に避難中)たちを交えて焼肉、焼きそば、そうめん流し、スイカ割りなどで楽しみ2011723_033 ました。会員さんも2家族増えました。

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2011年7月24日 (日)

ようやく慣れてきたジルダとチビ猫

Dscn6685 やがてチビが来て一ヶ月になろうとしていますが、ずいぶん大きくなったチビにジルダは警戒はするものの距離がだんだん近くなDscn6696 っている様子。最近では近くで寝転んでいたり、一緒に追いかけっこをしてうれしそうにも見えます。ジルダも捨てられた身、お互Dscn6688 いに猫同士じゃれあったことがないので、良い訓練です。大人になったらどういう関係になるのか、楽しみです。

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湯布院・黒川・熊本城を訪ねました 久々の旅でした

201171316_013 去年から選挙活動などでなかなか旅ができませんでしたので、ようやく二人の休暇を合わせて九州を旅しました。一日目は湯布201171316_019 院で雨にたたられましたが、翌日からは快晴、でも風があり群馬にいるより割りと涼しい日々でした。湯布院では、別府に勝る観 201171316_076_2 光客が、それも若い人たちが多く見受けられ、中には台湾からの観光客が目立ちました。黒川温泉までは定期観光バスが山の 201171316_058 中を4時間も走り到着、やはり山の中ですが狭い温泉地に個性的な旅館、ホテルが散在し、「湯めぐり」でいろんな温泉が楽し201171316_083 めるということから、8年ほど前、一時は平日でも道が人で埋まったと言います。どちらの温泉地も派手な飾りやネオンもなく素朴で静かなたた201171316_079 ずまいが人気なのでしょうか。黒川から熊本までは「阿蘇山」経由、噴火口にも登ってみましたが強い硫化水素の匂いがのどを201171316_104 刺激します。ここは台湾、韓国、スペインからの客に会いました。熊本城は90ヘクタールもある城の範囲にたくさんの施設ができ201171316_110 て観光客は年間、多いときで200万、今は100万人ほどだそうです。加藤清正が晩年、天皇を招いて住まわせるための(?)201171316_138 「昭君の間」などが復元されて公開されています。石垣と宇土櫓が見ものでした。一週間遅れたら台風6号で日程も狂っていたでしょうが、大事無いうちに帰ってきました。

写真1上から見た富士山、2観光列車「ゆふいんの森」の中、ガイドがあいさつ、3、役から見た由布院岳、4、馬車で一回り、5、6、黒川温泉の淀の湯、7、8、阿蘇さん、草千里、9、熊本城天守閣の前で

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2011年7月12日 (火)

田んぼにいる生き物たち 宇根豊さんの話に納得

Dscn6214 日曜日の朝、6時45分頃から、第2放送で「こころを読む」という番組があり、聞き始めて驚きました。宇根豊さんという「百姓が自然を作っている」と、誇らしく語っているのです。JR東日本はカリフォルニアから安い米 Dscn6218 を輸入して上野でお弁当を売っているが、東北の人たちに「もうしわけない」と謝罪するべきだ。都会の人々は窓からの風景を見2 て「ああ、素晴らしい!」と思うのでしょうが、新幹線から見る、東北地方のみごとな田園風景は「決してただでできているわけではない」ものすごい労力と資本がかかっているのであって、日本の米を買わないJR(大部分は日本の米だろうが)は「田園地帯を通過するときは窓を黒く塗りつぶされても仕方ない」、ようするに、日本の田舎の風景を当たり前だと思っている日本人がおかしいのだ、と指摘する。山間地に後継者がいなくなって、どんどんかつての田舎の美しい風景が壊されている。手を入れなければ、田んぼはすぐに荒れ野原になってしまう。 手を入れるためには、入れても食っていける百姓の生活を保障しなければ、誰も好き好んで辛い仕事に従事しない。 風景が壊され、環境が壊されれば虫も鳥も動物も自然な営みができなくなってしまい、やがては人間の社会も壊されていく。米は輸入できても風景や自然は輸入などできるわけがない。だから、少しは高くても日本の百姓がつくった農産物を食べなければ、日本の自然は守れないのだ。もっと日本の百姓は、そのことを強く叫んでいかないといけない。 (その通り!)西日本では今、トノサマガエルが絶滅しそうだという。理由は、田植えが機械に替わって、昔みたいの「水苗間」をしなくなった。トノサマガエルはその水苗間ができる4~5月に卵を産んで、田植えに備えて繁殖したが、百姓が箱で苗間をするようになり、6月にやっと田んぼができても、卵を産むのには温度が高すぎて繁殖できなくなってしまったのだそうだ。トノサマガエルの卵をえさにして繁殖しているイモリの数も減ってしまった。  私のうちでは、箱苗間を田んぼに下ろして水を張っているので、トノサマガエルもイモリの姿も良く見る。その他にも実に多くの「ただの虫」類が田んぼにはたくさん住んでいるが、今度はじっくりと観察してみましょう。写真下2枚、トカゲ、トノサマガエル

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2011年平和行進、無事に富岡市へ引き継ぎました

Dscn6468 9日は、碓氷峠を下った行進団は10日に、中澤四郎教育長、荒川明支所長に激励あいさつをいただいて支所を出発、松井田町Dscn6489 内をカンパを訴えながら行進、約30,000円をいただいて郷原、原市(約15,000円)へと進み午後3:30頃には安中市役所へ到着しDscn6491 ました。11日は、岡田義弘市長、奥原賢一市議会議長らの激励を受け9:20出発、やはりカンパ行動(約40,000円)をしながら板Dscn6496 鼻公民館で昼食をとり12:50に出発、県道前橋・安中・富岡線の激しい交通量のなか、途中でラーメン屋さんのご好意で店内Dscn6500 で休憩し、午後4:20には富岡市役所へ到着、宮前教育長と管理職の皆さんのお出迎えをいただいて感激しました。あいさつと引Dscn6503 継ぎのあと市で用意してくれた名物の団子と冷たいお茶をいただいて解散しました。これまでたいていは梅雨明け前の更新だったので1,2日間は雨に降られたのですが今年はすでに9日に梅雨明けしたとかでまったく雨にあわない行進でした。連日の猛暑の中ですが18日まで県内を通し行進する四人の方々も元気でがんばっています。写真1枚目は9日、五料茶屋本陣の前

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2011年7月 9日 (土)

2011年原水爆禁止・核兵器廃絶・国民平和大行進が群馬県入り

20117091 北海道から、ヒロシマ・ナガサキへと続く国民平和大行進が今年もやってきました。昨日(7月8日)碓氷峠で長野県から引き継が20117092 れた横断幕が、群馬県の平和団体によって、今日から10日間の県内行進が東京へ向かってスタートしました。碓氷峠に朝8:4520117093 集結したのは、地元碓氷安中実行委員会(中嶋昇太郎代表)を始め、県原水協、県平和委員会、民商、全群教、コープぐんま、一般の方を含めて約40名が、碓氷峠を下り始めました。県内10日間通しで行進される方は、安中では伊藤国夫さん、山口覚さんほか2名が挑戦するそうです。中でも最高齢は93歳の永井さん(安中)、県原水協代表の菊地定則さん(87)、など高齢者が元気です。今日のコースは、約23キロメートル、途中で休憩しながら午後4時には、安中市役所松井田支所に到着する予定です。暑さに注意してがんばってほしいものです。写真3、ますます元気な菊地さんと退職教員の方。

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2011年7月 5日 (火)

23年度水防訓練、暑い中お疲れ様でした。

Dscn6421 台風1号の壕雨によって、九十九川、遠丸団地地区右岸が氾濫の危機、水防団の出Dscn6424 動が命令された、という設定で安中市水防訓練が、中宿クレー射撃場西の広場で、広域消防職員30名ほどが指導で、安Dscn6428 中市消防団員350名、安中市女性防火クラブ員44名で、土のう作り、木杭つくり、などDscn6440 のほか、もやい結び、コイル巻きもやい結び、などロープの結び方、三角巾の使用方Dscn6431 法、心肺蘇生法、応急担架作りなどなど、緊急時には必ず必要になる数々の方法についDscn6444 て、訓練が行われました。女性陣は、かまどによる炊き出し訓練、おいしいお米が炊けたようです。これらの訓練が実際に必要にならないことを祈りながら、参加しました。

写真6は、安中市消防団団長、長岡義康さん(松井田町横川)

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2011年7月 3日 (日)

88歳、竹内三郎さんの生涯、年金者組合でお話がありました。

Dscn6357 群馬県年金者組合安中支部(萩原博支部長)の誕生会があり、参加しました。選挙でのお礼のあいさつを行いました。参加された中でお元気で88歳の米寿を迎えられた竹内三郎さん(安中市磯部)が「私の生涯」としてお話をさDscn6349 れ、初めて竹内さんの歴史を知りました。竹内さんは1923年磯部に生まれ、太平洋戦争では「通信兵」として出征しましたが敗Dscn6362 戦で命を永らえ、その後信越化学工業に就職、労働組合活動のさなか、運悪く社内での事故で、顔半分を破損しましたが、手術が成功しかろうじて命を取り留めました。その後レッドパージを経て、磯部せんべい屋の弟子入り、しかし高度経済成長時代機械化の進展に伴って「手焼き職人」は要らなくなるところ、仲間を募って「磯部せんべい製造協業組合」を立ち上げ、苦難の末現在も組合長をしておられます。第一線は退いたものの、責任感は旺盛です。その他、趣味の書道も師範級。野菜作りも楽しみながら、日々元気にがんばっているということに会場参加者から、大きな拍手が送られました。会員から手作りの赤いちゃんちゃんこを贈られて、うれしそうに語る竹内さん、「磯部せんべい」の登録商標の件で裁判を勝ち取って今があると話す竹内さん。

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