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2010年9月19日 (日)

レイテ沖海戦を語る、内田宇吉さんの話を聴きました。

2010915_003 内田宇吉さん(1925年生まれ・86歳)の戦争体験談を聴く機会がありました。内田さんは安中市小俣に生まれ、19歳で志願兵2010915_005 として海軍に入隊しました。横須賀の対潜学校を卒業し、昭和19年9月29日、瀬戸内海柱島沖で駆逐艦「潮」(2300トン、乗組員2010915_006 320名)に乗船しました。10月14日巡洋艦3隻、駆逐艦4隻で南へ向け出港「わが艦隊はフィリピン、レイテ湾に向かい米艦隊と決戦する。この戦いに敗れればわが国はこの戦争に勝てない」との艦長の訓辞を聞いて「とても生きては帰れないだろう」と思ったといいます。台湾の馬公で燃料を補給しレイテ湾に向けて猛進、ボルネオから「武蔵」「大和」「山城」「扶桑」が、内地から「空母4隻、戦艦2隻」など日本軍艦隊総力を挙げた戦いだったようです。24日真夜中、先行していた西村艦隊「山城」「扶桑」がボルネ2010915_009 オ海峡で米軍艦隊に攻撃され全滅、約6000名以上が戦死。この戦いで軽巡洋艦「阿武隈」が被弾し、「潮」が護衛して帰る途中、さらにB24,20機におそわれ大火災を起こし沈没、乗組員750名中300名あまりを救助してマニラへ。31日、11月5日、マニラ湾空襲で姉妹艦「曙」が被弾し戦死者多数、8日、陸軍の兵員輸送船を護送中、3000メートル先の輸送船がB25,3機に攻撃され轟沈、2000名余の兵員が戦死、13日、朝から夕方までマニラ湾空襲、機関兵23名が戦死、高熱蒸気を2,3分浴び2010915_014 た人間の体は手、指、顔は小さく白蝋のようにしなびていた。その後「潮」は片舷航海をしながらシンガポールで修理、昭和20年1月14日に日本へ帰ったそうです。以後、出港できず日本は敗戦を受け入れることになりますが、日本に85隻あった駆逐艦が終戦時にはわずかに3隻のみ、その一つが「潮」だったわけで9・9死に1生を得た戦争体験だったようです。内田さんの最後の言葉は「戦争はその勝敗のいかんを問わず、人類最大の愚行なり」でした。内田さんはその後、日本共産党員として「平和」のためにいろんなところでがんばっておられます。

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