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2010年3月

2010年3月28日 (日)

周永虎(チュヨンホ)さんの話を聴きました。松井田町で小学校を出た在日朝鮮人の方です。

2010328_015_2 2010328_019 周さんのお父さんは朝鮮から1932年ごろ13歳で九州へ渡りました。15歳で、先に日本で働いていた兄さんを頼ってきたのです。日本は1910年力づくで朝鮮を植民地にし土地を取り上げたり、創氏改名などで朝鮮の名2010328_021 前を無理やり日本の名前に変えさせたりしていました。生きるために、やむを得ず日本に渡り、大阪、川越、そして1944年ころ、 2010328_001 群馬県松井田町の一角に部落を作って住み、永虎さんが生まれ、松井田町の山に「弾薬庫」を掘る仕事に従事していました。2010328_007 終戦で仕事はなくなり、永虎さんは、当時「清吉」という日本名で、当時の松井田小学校へ通ったそうです。仕事がなくなった大人たちはどぶろく(密造酒)を作って売り、食物を手に入れていたこともあったそうです。周さんは、朝鮮人に対する日本人の差別問題について、関東大震災のころ(大正12年、1923)虐殺が行われ7000人もの朝鮮人が、流言飛語(朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた・・・)によって命を奪われた、悲しい事件もあった。今、拉致問題に端を発した朝鮮批判がエスカレートして、都内の朝鮮学校など周辺に右翼の街宣車が毎日のように、「お前たちは朝鮮へ帰れ!なぜ、ここにいるのだ!」などと攻撃している。「私たちの祖先は日本軍の強制などによって、明成王妃(ミンビ)を虐殺され、土地を奪われ植民地とされてたことを反省している。現政府の閣僚でさえも、日韓併合条約は合法だった、と言っている、しかし国際法上では違法である。武力で他国の土地を収奪して、何で合法なのか?高校授業料無賞化も大阪府知事などは、認めないと言っている、しかし、今でも私たちは日本に多額の税金を払っているが朝鮮小学校、中学校へは何の援助もない。今度も高校無償化は除外だと言っている。拉致問題で私たちは『数十万人とも言われて同胞が強制連行された私たちの祖先にとって拉致は、ひどい犯罪だと身をもって感じていたが、北朝鮮が同じ拉致したことを認めたとき大きなショックを受け、本国にも総連にも抗議をした。しかし、今、拉致問題はまったく進展しない、制裁ばかりを言っているが、政府に利用されている、本当に解決する気持ちがない、政府がもっと冷静にならないと解決しないのではないか。』などと今の心境を語りました。講演会場から「日本が朝鮮に対してどのように過去を償えばよいと思いますか?」と質問があり、それに対して周さんは「800万人とも言えるユダヤ人などへの迫害を行った、ドイツの例を話しますが、ドイツはナチスドイツが侵した罪を①ナチスが行った犯罪に対する謝罪と補償、②ナチス戦犯への永久追及,③ナチ時代に何が行われたかを子どもたちに徹底して教育している。それに対して日本は戦後、中国や朝鮮などに対して、どんな反省と償いをしているのでしょうか?日本人の頭の中には近代100年の歴史の認識が抜け去っているのではないか?心からの謝罪がされていないのではないか?」などと語り、「差別意識をどうやってなくしたらいいか、同情だけではだめです。お互いに、歴史の事実に謙虚に学ぶことが必要、劣等民族と見ると差別し、偉そうな民族にはぺこぺこするのではいけない、どんな民族に対してでも言うべきことを言い、対等に接することが大事。」としてこれからも交流していきましょうと結びました。非戦の会主催のこの講演会には25名ほどが集まり、熱心に聞き入っていましたが最後に、松井田町小学校5年生のときの担任教師、早津隆先生も駆けつけ、紹介されました。今年は日韓併合100年の年です。写真:3、早津先生と周さん、4、周さんの祖先は700年代に唐の国から朝鮮に送られた人が始祖とされ、以後現代まで一族の系図『族譜』というものがきちんと本になって残されているのです。これには驚きですが、なぜ韓国、朝鮮の人々が親や先祖を尊ぶのかわかる気がしました。まして、尊い名前を変えるなどと言った『創氏改名』などに抵抗した意味がわかりました。5、中段が永虎さん、上がお父さんの代、下が子どもさんの代だそうです。

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2010年3月24日 (水)

26の瞳が卒業、九十九小学校。

201032_008 安中市立九十九小学校(佐藤秀彦校長・65名)で、24日、卒業式があり6年生13名(男子6、女子7名)が元気に巣立っていき201032_012 ました。卒業生の13名は、市内14校中で11番目の小規模校でありながら、駅伝競走大会では男子が準優勝、女子も5位、上毛カ201032_011 ルタ大会では県大会で団体優勝するなど、すばらしい活躍をしてきたクラスです。卒業式の態度も歌も大きく、立派な行動でした。201032_016 私の卒業時は2クラス、78人が同級生でした。在校生の送る言葉、卒業生のお礼の言葉もほぼ、昔と同じで、自分たちの卒業式を思い出していつも懐かしく聞いてます。

写真:1、証書の授与、2、卒業生13名、3、在校生52名、4、卒業生の送り出しは「威風堂々」中の仕切りが開いて5年生の演奏です。

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2010年3月23日 (火)

簗瀬二子塚古墳公園の保存について市長らに申し入れしました。

2010317_007_2 安中市原市簗瀬地区にある、簗瀬二子塚古墳は、関東地方で最古とされる横穴式石室を持つ前方後円墳で、安中市域では最古、最大の重要な古墳として知られています。しかし、いまだ市の文化財には登録されていないために、市外には知らない人もいます。市ではこの古墳一体を「史跡公園整備計画」を策定し平成13年に、土地開発公社で約3,700㎡を買収し、最終的には周辺を約、20,000㎡ほどを買い足して行く計画を立てていました。2010323_003 ところがその後の買収計画がまったく進まず、所有地権者への説明や働きかけが中断したままとなっていたことから、このほど民間企業の宅地開発の候補地として、売買されることとなり、このままでは市の公園2010317_005 整備計画に大きな障害となることから、日本共産党安中市議団(桜井ひろ江団長、山口覚議員、金井久男議員)では、3月192010317_006 日、議会終了後、岡田義弘市長と中澤四郎教育長を訪ね「簗瀬二子塚古墳史跡公園整備に関する」申し入れを行い、史跡の2010317_002 保存と地権者への理解と協力を得ることなどを要請しました。 この開発予定地は、古墳の西側約8,000㎡の平坦地(図面の上ピンクの線内)で、この辺は八幡平陣城あとという説があり、武田信玄が永禄年間(1558~1566年)に上州攻めを行った際、ここに砦を築いたという。その城跡が確認されれば「国史跡」としてすぐにでも指定になるという貴重な場所であるという(群馬県古城塁址の研究 下巻・著者山崎一による) その根拠は、すぐ東にある首塚の資料などによるといいます。 首塚のいわれは、写真にあるとおりです。安中市は、都市計画道路などの開発で、この古墳の外溝部分を傷つけ、本来は国の史跡の価値がある文化財の価値を減退させたり、買収計画をないがしろにしてきた経過があり、多くの市民が望む文化財をしっかり守れるのかどうか心配です。写真:1竹林に覆われているのが古墳、2、図面は同じもの、右が設計図、3、首塚のほこら、4、説明版、5、古墳西側の開発予定地

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2010年3月20日 (土)

議会定例会(22年3月)が終わりました。討論は自前で5件でした。

2010317_014 平成22年第一回定例安中市議会が19日閉会しました。この日は各常任委員長の報告による、付託議案審査の採決、予算特別委員長報告の後、各党派の討論が行われました。日本共産党安中市議団では、一般会計予算(「1010..3.19.doc」をダウンロード )、国民健康保険特別会計予算、後期高齢者医療事業特別会計予算(「103.19.doc」をダウンロード )、上水道事業予算に対して、反対討論を行いました。賛成討論は一般会計では、新政会の中島徳造議員、国保予算には安政の会の今井敏博議員が行いました。意見書の採決に対して、議長から急に出されて来た「八ッ場ダムダム中止撤回を求める意見書案」は、岩井均自民党県議から議長に依頼されたものだそうですが、民主党新政権が公共事業見直し公約で「中止」を打ち出していたものです。日本共産党安中市議団では、八ッ場ダムダム中止の宣言が、地元住民に頭越しで行われたことから反発を招いたが、生活再建優先で地元住民の納得は得られることやダム本体工事を中止したほうが地方にとっても賢明な選択になる、ことを主張してこの意見書案には反対しました。なお、ほかに民主・社民クラブ(4名)と無所属議員1名が反対しました。写真:22年度から休校となる安中市立郷原分校(現在6名の2年生が学んでいます)、新年度に9人の1年生が入学予定でしたが兄、姉が本校(原市小学校)へ通っていることから全員が本校への通学を希望したようです。ちなみに22年度から約160人の児童が減少する見込みです(全体では4900人)

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2010年3月17日 (水)

一般質問が終わりました。デマンドバス交通、弁当の日、肝炎・肺炎対策を聞きました。

9218_017 16日は、9:00から一般質問が行われ11名の議員が質問しました。私は、20年度から3年かけて行っている「公共交通の見直し9102729_009 事業」特に、松井田町の空白地区に早く「デマンドバス・タクシー」を走らせるように要求しました。担当課ではコンサルタントを2010202_025 含めて調査を重ねていますが、もう2年もたつのだからテスト運行できるはず、なかなか埒があかないので督促しました。市長は「現在乗り合いタクシーでの運行区域でテスト運行するよう指示している」と答えました。「弁当の日」は、香川県の校長が実践したことから全国に広まったもので、子ども自身の手で弁当を作ってくる、という指導で「食に対する認識、親に対する愛情、食材を通して輸入食品や添加物などに対する知識」などに教育効果があるというもので、群馬県では富岡市の2中学校だけしか実施していないようですが取り入れてみるようを要望しました。肝炎対策では、健診でC,B型肝炎の患者が50数名発見されており治療の指導がされているようです。しかし、C型肝炎に対するインターフェロンによる治療は医療負担が高く大変なので、国は1か月の負担を1万円、2万円と、所得に応じて助成することになりましたが、市単独でも助成すべきではないかと要求しました。又、老人への「肺炎球菌ワクチン助成」も、県下では新年度から11市町村が始めるということで、市での取り組みを急ぐように求めました。詳しくは資料でご覧ください。「1032.doc」をダウンロード

写真:1、長野県東御市のデマンドバス、2、福島県小高町のデマンド、3、群馬大学病院の陽電子放出断層装置(PET)の設備

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2010年3月12日 (金)

痛みをこらえて卒業式へ。検査結果は炎症反応はなし。??

9313_004 今日は松井田東中の48回目の卒業式でした。昨夜から痛み出した右腰の痛みが残り、足を引きずりながら議長の代わりに「祝2010310_011 辞」を読み上げました。今年の卒業生は46名(通し番号で5,949番)、うち欠席した子が2名ありました。陽射しはあっても体育館の2010310_021 中は冷え冷えとしていて、2時間の式典は辛いものでした。帰宅後に碓氷病院に電話して診察をお願いしましたが、検査の結果2010310_006 2010310_028 は「炎症反応」は0、一体何が原因かわかりませんが、昨夜は仰向けでもうつ伏せでも横でも痛くてじっとしていられなく、結局体を2010310_035 丸くしてうずくまって階下のソファーに突っ伏すような姿勢で休みました。医師は座薬の痛み止めだけ処方しただけで、又月曜日に受診する事になりました。 さて、「猫エイズ」と診断された我が家のチョロ君、5日ほど点滴に通った後腎臓治療のくすりを飲ませていたら、なんと何と元気になってしまい、エイズなどどこ吹く風、食事時には人の食べ物をほしがって大騒ぎです。あんなふうに元気になれるって動物のたくましさでしょうか?写真:1、今日はカメラを忘れて昨年の式場です。2,3は庭のクロッカス、チョロは食欲が回復、散々食べて私のパジャマを枕に寝てしまいました。(11日)

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2010年3月11日 (木)

天候不順、体も不順? 議会も半ばです。

2010307_003 西洋では3月の季節を「狼のように来て羊のように去っていく」月、と表現するそうですが、まさに今年の3月は「一寒一温」のよう2010309_002 に晴れたり降ったりで体もおかしくなりそうです。一日からステロイドを10%減らして服用していますが、なんとなく体がだるく下半2010309_008 身の「むくみ感覚」が増している気分です。他の痛み止めの薬を一部やめましたが、それも影響あるのでしょうか?ここ2,3日は2010309_010 腰の痛みが出てきました。玄米食にしてやがて一ヶ月になります。体の中から治すことにも心がけていますが、なかなか効果が2010309_017 出るのは時間がかかるでしょう。 議会定例会は総務常任委員会も9日に終わって、今は一般質問の原稿作りです。「デマンド交通、弁当の日、肺炎ワクチン、肝炎治療対策」などを聞く予定です。明日は「松井田東中学校」の卒業式です。暖かくなればよいのですが。写真1:下増田で咲きはじめたカワヅザクラ、2:3:9日に降った雪、4:椿の花、5:9日夜の雪

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2010年3月 5日 (金)

上後閑小学校が23年度から休校になるようです。残念ですね。

2010305_003 昨年から安中市では「学校適正規模検討委員会」なるものが設置され、管内小中学校の統廃合の是非が検討されてきました。2010305_005 その結果が2月26日の議会全員協議会で報告されました。全校生徒10名の上後閑小学校(50年以上前は後閑小学校の分2010305_006 校)では、1,2学年、4,5学年が複式学級,6年生、特学の4クラスで3年生がいません。それでも先生10人でマンツーマン教育が行わ2010305_009 れて、子どもたちは地域のあたたかい村人に見守られながらのびのびと元気に生活しています。野鳥観察の指定校も受けて、環境は最高のなかで勉強しています。3月で3人卒業すると新入生がいなくなり、7人になってしまうようです。保護者のなかには、大きな学校で学ばせたいと後閑や原市小学校へ通わせる例も現れてきたということです。 人間の一生のうちで幼少期というのはごくわずかな期間です。小学校は歩いて通うことができる学校が一番だと思いますが、車で運ばれて大人数の知らない子どもたちと一緒の教室で過ごすのが、そんなに優れた選択とは思われません。 私は、お金がかかっても、身近な学校でたとえ独りになっても、存続していける学校のほうが、良いのではないかと思います。ヨーロッパの国々には、「過疎」という言葉がないそうです。街で働く若者が結婚をして子どもが生まれると、故郷に帰り田舎でのびのびとした環境での学校教育を選択するために、村は活気が維持されているといいます。こんなにせまい日本のなかで、もっとのんびり子どもを育てることができないのでしょうか?写真:玄関を入ると、全校生徒の写真が貼ってあります。(2)、どこの学校にも長い歴史と思い出が詰まっています。古い写真がそれを物語っています。(3)、土地の条件がなくて、歩いて2分のところに新しい立派な体育館も整備されています。こんなすばらしい環境があっても、わざわざ4キロも離れた「本校」に通学しなければならないって、もったいない気がします。その後閑小学校でも、全校生徒はすでに60人ほどになっているのですから。

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2010年3月 4日 (木)

猫エイズ?で毎日通院です。こちらも不安。

2010304_002_2 一週間ほど前から家猫のチョロがえさを食べなくなり、アリス動物病院を受診しました。血液検査の結果「猫エイズ」だと診断さ2010304_008_2 れました。交尾や喧嘩などでうつる病だそうです。これまでも「腎臓病」で薬も飲ませていたチョロが、今度はエイズ、驚きました2010304_012_2 が、その後続けて点滴をしに通院です。今日で4日目になり、大分回復してきましてナースがくれた特別の「腎臓、肝臓病食えさ」に、食らい着いていましたからほぼ良くなったのかと思います。それにしても、私の体は「ステロイド」を減量し始めたのですが「足腰」のこわばりが、なんとなく出ています。不安を抱えて、毎日議会(第一回定例会、予算審議)に向かっています。写真:獣医さんに診察されて緊張です。2、点滴が4日目になりました。神妙に座っています。3、ナースがくれた「病院食」に夢中でかぶりつくチョロでした。2日くらい普通のえさを食べていませんでした。

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