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2009年9月21日 (月)

碓氷関所を国の史跡として復元を!シンポジウムひらかる。

9919_017_2 052_2 「碓氷関所の歴史と現在」と題して9月19日、文化会館大ホールでシンポジウムが開かれ300名ほどの人が集まり、報告者の話に耳を傾けました。主催053_2 は、交通史研究会・安中市・安中市教育委員会、後援は、文化庁、県教委、関所保存会(地元)でした。コーディネーターは九州大学名誉教授033 の丸山雍成氏、ほかに東海道の新居関所について報告したのが愛知大学教授の渡辺和敏氏、碓氷関所と安中藩について話し035_3 たのは安中市文化財調査委員で松井田町在住の佐藤義一氏,中山道、近辺の街道と碓氷関については、群馬県立文書館係長の岡田昭二氏、小野直遺文書と中山道碓氷関所については、安中市文化財調査委員の淡路博和氏、そして最後に箱根関所の復元について報告したのは、箱根町教育委員会技監の鈴木康弘氏など、そうそうたるメンバーの皆さんでした。  碓氷の関所は遠い平安時代から西国と関東を結ぶ街道の要衝として、それぞれの時代の支配者によってもうけられてきたが、現在門扉が残る跡に設置されたのは、元和9年(1623)頃だったといわれる。東は安中藩が西門は幕府が管理していたといわれ、近年発見された絵図などによると、関所構内は木柵や矢来で囲まれ、北側の石垣上に番頭住宅、平番長屋、作事小屋、武具掛け高札場があり、道の南側は、定附同心や西門番の長屋となっていた。廃関は明治2年(1869)といわれ、破壊されたが、かつての同心の一人、後閑カンゾウという男が、東門の焼却をうまく免れ、狩野ショウジロウ、という人物とともに原市に隠しておいたことが、後年になって、実物の門が残ったといういわれがある。いずれにしろ、丸山教授という方は関所にかけては日本一の研究者で、箱根の復元に大きな力を果たしたというので、次は横川、碓氷の関所を復元したい、といった熱意が伝わってくるシンポジウムでした。:写真:会場風景、2、3枚は復元された箱根の関所(芦ノ湖、富士山が見える)、4,5枚目は復元された木曽福島の関所(長野県木曽町)、

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