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2009年7月26日 (日)

満蒙開拓青少年義勇軍の体験を語る、小俣喜一郎さん(80)の話を聞きませんか!

09716_001_2 かつて、日本が中国と戦争をしていたころ、中国東北部を「満州帝國」とよび、日本軍が傀儡の天皇「いわゆるラストエンペラー」を置いて統治、侵略の足がかりとしていました。天皇制大日本帝国は、その満州国へ、日本国内は急速な人口増加によって次男三男の働き口がなく、食糧難にも苦労していたために、日本から新大陸へ「移民」をさせることを計画しました。(1938年1月決定) そのために行われたのが、「満蒙開拓義勇軍」でした、全国で耕す土地の少ない零細農家の次男、三男に呼びかけ、中国(満州)は日本の領土だから、好きなだけ土地がもらえる、と夢を振りまいて、14,15歳の若者まで応募させて、中国へ送ったのでした。ところが、政府が説明とは大違い、だだっ広いだけで冬は極寒の荒野が広がっていたと言うことです。やがて、終戦間際にはロシア国境からロシア軍が参戦し、住民を守るべき日本の関東軍は、開拓民を置き去りして自分たちだけで逃亡してしまったと言うことです。その後の開拓民の引き上げは、多くの小説や映画にもなりましたが悲惨を極めたと言うことです。中には、一家全滅で帰ってこられなかった家族、子供たちを失ったり、中国人に預けたり・・・(これが残留孤児の悲劇の始まり)して命からがら帰ってきた人たちがたくさんいたのです。しかし、その政策は長く表に出てくることがありませんでした。  その義勇軍に参加して、無事に帰国を果たし、今は平穏に過ごされている安中市岩井、小俣喜一郎さん(80)が体験談を話してくれることになりました。日にちは、8月1日(土)、午後1時30分より、会場は安中公民館(安中市常木、ハナミズキ通り、磯部、安中駅線沿い)です。ぜひお話を聞いてください。主催は「非戦の会」ですが、どなたでもお聞きになれます。

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