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2009年4月20日 (月)

鉄道文化むらが10周年を迎えました。4月で200万人になるそうです。

9419 1997年10月に「長野行き新幹線」が開通しましたが、それと引き換えに104年間続いたこの碓氷線(信越本線のうち特に碓氷峠の上り下りをさしてこういった)、横川ー軽井沢間が廃止されました。法律ではありません。単なる「政府ー与党の申し合わせ」によって、北陸新幹線(ここから、整備新幹線事業と名前が変わった)の開業と同時に、並行する在来線は廃止する。・・・・。JRの利益を保証するために、JR東日本の年間利益1000億円のうち、わずか一年間4億円あれば経営存続できたのに「在来線を残せば、乗客が新幹線に乗ってくれない・・」という理由で、歴史ある峠の線路が捨てられてしまいました。その穴埋めとして、群馬県がきもいりで予算をつけ、始まったのが「横川駅周辺整備事業」でした。この陰には、松井田町の10年にわたる「信越本線廃止反対運動」があったからこそでした。はじめの計画では「新幹線は南回り」で高崎から安中を通り松井田町の駅で在来線と交差し、乗換駅を作る。というものでしたが、そのご1985年3月の運輸省の発表は、北回り94193 で、高崎以降はほとんどトンネルで通過し、駅もなく軽井沢に地上駅で在来線に接続というものでした。これには「約束違反」ということで、行政、議会、住民一体となって、「地元に何の利益もない新幹線はいらない!」と計画に猛反対して運動したのでした。その結果としてできたのが政治的妥協の駅、あの「もののけ駅・安中榛名駅」だったのです。当時、安中の行政も議会も松井田町に合わせて運動すれば、新幹線の駅も出来なくなる、といって松井田町の運動に協力しませんでした。その後の経過は見てのとおり、JRも協力して希少価値のある機関車や展示品を譲渡したり貸与して「文化むら」の営業に参加しています。今も文化むらは地域の経済のためになっていますが、廃止された信越本線に比べれば、雲泥の差でしょう。10年の歳月の中には、さまざまな思いの人がいるのです。その文化むらの記念式典が執り行われさらなる10年に向かって号笛が鳴らされたのです。写真:4月18日、横川「鉄道文化むら10周年記念式典」

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