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2009年3月

2009年3月28日 (土)

ぐんま派遣村が行われました。餅つきで励ましてきました。

93261_2 派遣労働者が次々に解雇、雇用止めされている社会、彼らとホームレスになった人たちを励まそうと「ぐんま派遣村」が前橋公園で開かれ,300人ものボランティアが集まりました。主催は「社会保障協議会」や民医連、農民連、青年法律化協会などが協力しました。私は、「安中生活と健康を守る会」の10人のメンバーとして参加、長沢尚会長が用意した「もち米」を蒸かす役目、3臼分を蒸かし、ほかのメンバーがきなこ、からみ餅にしてみんなに分けてあげました。お昼過ぎて、全部処分できたので帰宅しましたが、そのときまでに約70名のホームレス、9326_2 派遣切りされた人たちが相談にやってきました。高崎駅周辺でパトロールした日(21日)に声をかけた人達8名ほどがマイクロバスでやってきていました。中にはお金がなくて、桐生から歩いてきたという人もいました。皆さんお医者さんに健康診断をしてもらったり、伸び放題の髪の毛を理容師さんにカットしてもらったり、寒い一日でしたが、多くの人の善意が集まって、心だけはあったかくなった一日でした。※上は前橋講演入り口、中、餅つき風景、下、安中生健会のメンバーです。

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2009年3月27日 (金)

手紙~拝啓ー十五の君へ~ アンジェラ アキ 感動しました。

9313_012_4 9313_001_2 この曲は、08年度、全国22_2 学校合唱コンクール課題曲として、書き下ろされた曲で、アンジェラの実体験からうまれた、15歳の皆さんへのメッセージです。アンジェラが子どものころに大人になった自分に宛てて書いた手紙、(自身が日本人とアメリカ人との混血という理由でいじめられた経験)を題材にして書いた曲です。 合唱コンクールで全国の中学生の間に、またたくまにひろがり、アンジェラに宛てて2000通もの手紙が届けられたということから、番組になったようです。番組では長崎県五島列島、兵庫県などの中学校の2年生にスポットを当てて編集していましたが、15歳というある意味では特殊の年代の子供たちの、揺れ動く感情に焦点を当て、この曲が、与えた子供たちの未来への希望、不安などをうまくあらわしていたように思います。ただ、未来への自分に宛てた手紙の発表者が全部、女子中学生だったのはなぜだったのでしょうか?? 青春期の心が揺れ動く世代の心を歌をとおして、表現する、この子供たちにはいい人生が待っていると感じましたが。

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松井田東中、市立九十九小学校の卒業式に参加しました。

9313_008_2 3月13日は、管内の中学校の卒業式でした。東中学校は第47回目です。第1回は、昭和36年度ということになります。当時の九十九中学校、松井田中学校、臼井中学校が統合されて「東中」となりましたが、坂本が「西」、西横野が「南」、細野が「北中学校」と4校になりました。ただし東中では新校舎の建設が間に合わず、4年間はそれぞれの元の校舎で「分教場」として存続していました。私はその「九十九教場」最後の 卒業生でした。同級生は78名でした。今年の卒業生は48、男子20、女子28名でした。そして残念なことは21年度では新入学9313_012_2 生が38名ということで、ついに1クラスになってしまうというのです。それぞれの小学校の卒業生の中で、中高一貫の中央高校や新島学園など私立高校へ進学する子がいるためです。 さて、24日は九十九小学校の卒業式、こちらは15名の卒業生、親子ともども身近な会場でこじんまりとした式でした。1、2年生が卒業生と向き合って「お兄さん、お姉さんごそつぎょうおめでとうございます!」と声を合わせるのは、毎年聞いてもほほえましいものです。中には、別れということが理解できるのか、ハンカチで涙をぬぐう子供たちがいて感動的でした。9324_002_2 私は議長の祝辞を代読しましたが、その前に自分のことばで「国際化の時代、外国人の文化の違いを知ってください。相手を知ることは自分の事を知ることです」などと少し話しました。

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2009年3月23日 (月)

冬来たりなば春遠からじ 我が家の庭の季節の移り変わり。

9220_003_2 西洋では、「The March comes like wolf and goes like sheep」ということわざがあるとおり、3月という月は、狼のようにやってきて、羊のように去っていく・・・のだそうです。9220_005_3 確かに春の天気は非常に変わりやすくて、雪が降ったり、風嵐が吹いたり、そうかというとぽかぽか陽気になったり、日本では「三寒四温」と言い表していますかね。今年の3月も、そのことわざのとおりに推移しているようですね。でも確実に春はやってきて、うぐいすの初音も聞きました。我が家の庭にもクロッカスがやっと春だよーっと顔を出しました。9317_1_2

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2009年3月21日 (土)

享保びなほか千体の雛人形が待っています。茶屋本陣は郷土資料館。

015_2 毎年の行事ですが、松井田町五料の茶屋本陣、お西には千体を超える雛人形が日本間にびっしりと並べられお客様を待っています。20年ほど前に松井田町内外の皆さんに呼びかけて『飾らなくなった古いお雛さま」を寄付してくれませんか?と募ったところたくさんの人形が集まったというわけです。私もたまたま家の新築のために蔵を片付けた際、一番古くて怖い(子どものころは気味が悪かった)お内裏様を寄付しました。それが、館で最も古い『享保雛』です。(写真上・約280年前のもの)蔵の中ではねずみにあらされるままですし、娘も成長した後はめったに出すことも08213_002 9315_4_2 無くなったので『毎年、多くの皆さまに見ていただけて、お祝いしてもらえるようになって良かったな』と思っています。皆さんもお出かけになったら古いお雛様にあってやってください。  お内裏様も立派ですが、上段の間に飾られる『裃雛(かみしも)』も素朴でいいですね。あるとき、80歳になる伯母を案内したときのこと、ずらっと並べられた裃雛を見渡して、『あっ、あれがあたしがもらった人形だ!!』と叫んだのです。裏を返してみるとなるほど私が寄付したもので、伯母の名前が書いてありました。おばが嫁いで50年余、たまには実家で見たでしょうが、何年もたって、自分がもらった人形を顔と衣装だけを見て、とっさに探し出せるなんて全くの驚きでした。その伯母も4んねんほど前に鬼籍に入りましたが。大正、昭和の初期物が不足していた時代に『たった一つもらった』自分の宝物だったのでしょう。そんな思いでこの裃雛を見ると、一人ひとりの少女の思いがこもっていて、とてもいとおしい気がするのです。この人形たちの中でたった一つ青い衣装のかみしもを着た人形がありますが、それも金井家から寄付したものです。ぜひごらんください。※下の写真は、市のALT(カナダ出身)3名に茶屋本陣を案内した記念です(09.3.15)

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2009年3月19日 (木)

茨木のり子詩集を読む。みんなで読む。好きな詩を読む。

9228_005_2 「わたしが一番きれいだったとき」[わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがら崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした・・・・] 1926年生まれの作者が20歳を迎えたとき日本が戦争で負けた。 「自分の感受性くらい」[ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて・・・・自分の感受性くらい自分で守れ ばかものよ」といった抒情詩で有名な茨木のり子の詩を読む会、が学習の森で開かれ参加しました。予想を超えて50人も集まりました。進行は俳優の[冷泉公裕さん」、初対面の参加者9228_015_2 をリラックスさせるためにゲームをしたり体操をさせて準備を整えていきました。はじめに茨木さんの代表作[鎮魂歌]から「りゅうりぇんれん物語」という長い詩をみんなで読みましょうと、グループを女、男7つくらいに分けて、順に読み進めていきました。「りゅうりぇんれん(劉連仁)」とは、太平洋戦争中、日本軍部が中国、朝鮮で大量の人狩りをして、強制的に労務者として日本の炭鉱やトンネル工事に従事させたことがありますが、その中の一人の中国人を書いた詩です。劉連仁は、20代前半で結婚をして山東省に家族と共に暮らしていたが、昭和9228_013_2 19年に、日本軍にさらわれ、北海道の炭鉱に送られたが、やがて脱走して山中に隠れ、14年間も野山で暮らし、終戦後13年もたって保護されて故郷に返された人物です。その長編詩を読みあいました。間においしい台湾茶(深谷市『遊山茶房』)とケーキの数々(安中市間仁田『マナペコ』)をたのしみました。 休憩後には参加者の好きな詩を朗読するコーナーで、代表的な詩が読まれました。私はたまたま、目に留まった「笑う能力」という詩を読みました。[『先生お元気ですか 我が家の姉もそろそろ色づいてまいりました』他家の姉が色づいたところで知ったことか 手紙を受け取った教授は 柿の書き間違いと気づくまで何秒くらいかかったか 『次の会には是非お越し下さい枯れ木も山の賑わいですから』 おっとっと それは老人の謙遜語で 若者が年上のひとを誘う言葉ではない ・・・・・ ]といったユーモアにあふれた詩です。 以前にどこかで目にして、面白い詩を書く詩人があるものだ、と印象に残っていたものです。 あらためて茨木のり子の詩を読み直してみようと思っています。

※上、指導する冷泉さん、中、朗読する元学校長さん、下、おいしいケーキとお茶で満足

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2009年3月15日 (日)

デマンドバスの視察〔2〕飯綱町のシステムはちょっと違う。

9218_037_2  少し遅れましたが、デマンド交通の2件目、東御市の次に視察した飯綱町の例を紹介しましょう。飯綱町は、旧牟礼村と三水〔さみず〕村が合併してできた町で世帯は4,080、人口は12,716人(09年1月現在)の小さな山村です。国道18号と信越線と鳥居川が平行してわずかな平地を走り、それらを挟んで東西に斜面がひろがり、飯綱高原スキーリゾートとしても有名な高原との標高差は約500メートル、という山間地、長野駅から単線の信越線牟礼駅を降りると9218_026_2 駅前には何もない、しばらく歩くとようやく商店が見えてくる。そんな町の古い役場庁舎で話を聞きました。町では以前から乗り手もない路線バスに運行補助金を4000万円近く支出していましたが、06年6月、現状打開に向けて検討委員会が設置され、デマンドシステムが研究されてきました。しかし近隣市町村を視察してみて、あまりにも初期投資や年間の保守管理費がかかるということから、安曇野市、東御市などで採用している「NTT」方式ではなく、市民が電話予約した情報をパソコンのチップに記憶させ、デマンドバスに搭載のカーナビに挿入9218_033_2 し、その朝の運行地区を廻るシステムを採用し、必要経費を大幅に節約していました。初期投資額は東御市の約50%の1000万円、料金は一律300円〔中学生以上〕、5路線と夜間路線1、小型バス〔26人乗り〕1台、ワゴン車〔15人乗り〕3台、運行は07年10月ですが、その後の一年間で乗車人数が増え、運賃収入が35%アップ、利用者も便利になってよかったと喜ばれているようです。そのため町から出る公共交通の経費が約6%、250万円ですが軽減になったそうです。この新交通システムによって、公共交通空白区が無くなったと誇らしそうに9218_043_2 話していました。利用者の7~80%は、70歳以上の高齢者、そのうち80%が女性だと言うことです。ともかく、住民が喜んで利用して外出ができて元気になる。こんないいことはありません。今安中市でも検討中で、今年度中に試行運行をするようです。

写真上から①26人乗りバスの前で案内してくれた町の議員さんたち左の2人、②役場でビデオを見て話を聞く③アイバス〔デマンドバスの愛称〕の予約受付センター④牟礼駅に向かう商店街

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2009年3月11日 (水)

安中市議会定例会 予算審査終わる。継続案件議案は否決(委員会で)に

9228_002_2 3月3日から定例会が開かれています。21年度予算案が6日、9日の2日間『予算審査特別委員会』で審議されましたが、一般会計予算は賛成多数で可決され、23日の本会議で採決に付されます。229億7600万円(5・5%増)の中身は、法人市民税、個人市民税などが落ち込むものの、学校施設などの耐震補強、安中小の改築、原市磯部線道路など、の事業に地方交付税交付金、臨時財政特例金などの財源の増加によって増えています。しかし、中には『憲法改正の国民投票』を目指すために、いまから投票人の管理をさせるための『国庫委託金』など218万円、大変危険かつ無駄なものが含まれていたり、学校給食費の値上げ案などが知らない間に計上されていたりで、日本共産党市議団では、反対しています。    

  さらに今日〔11日〕には、12月から総務常任委員会で継続審査になっていた「財政調整基金条例の一部改正案」が審議されました。私は「①巨額詐欺事件(土地開発公社の職員が51億円の使い込みした事件)が、市民に充分理解されていない。13年たったが、今後、いつまで群馬銀行に毎年2000万円づつ返済し続けるのか?犯人が釈放されてきた後、いったい幾ら弁償させられるのか?などなど、見通しが示されていないこと。その公社に、市民の税金を投入するという形は市民感情からみて理解されない。②条例案では、「余裕のあるときに財政基金から土地開発公社に貸付して、いづれ買い戻す土地の金利分を減らす」ということだが、いまは景気の後退が著しい時期、とても余裕などない、すぐ面前には「碓氷病院」の大ピンチが迫っているし、市全体の借金総額は、440億円もあるはず。もう少し情勢を見て余裕が生まれる時期を待つべきであり、時期尚早ではないか。」として反対しました。岡田義弘市長は「かつて1億8千万円で買った土地が、そのまま金利がついて2倍にもなっている。早く何とかしたい。財政基金を貸し付けることと、土地開発公社事件とは、切り離して考えるべき」と答えました。このほかに、安政の会の議員が討論を行い、採決の結果、全員一致で否決されました。これは岡田義弘市長になって、2度目で、在任期間を定める条例案に続く否決案件となりました。それにしても、あの事件の犯人、多胡邦雄氏は今年の9月には、刑を終えて釈放になるといいますが、13年前の裁判で金の動きが解明できずあいまいのまま判決が下され民事裁判も終わってしまったことを考えると、いまさら彼の口から、使い込んだお金のありかや弁償を迫っても、無理なように思いますが。真実は誰が知っているのでしょうか?※写真説明 「田村邸」 磯部の城山の上り口の反対側に住んでいた田村さんという方が、数年前、家屋敷を市に寄贈されました。この屋敷を拠点に「養蚕振興」を図ろうと計画しています。

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