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2009年1月 7日 (水)

松井田城址の掃除に行ってきました。虚空蔵菩薩の祭典準備のためです。

0917_1_2 七草も過ぎて穏やかな日だったので「虚空蔵さん」の準備のために松井田城址の掃除に城山へ登りました。虚空蔵さんとは、松井田城址の本丸跡に建つ小さな祠で祭られている虚空蔵菩薩の祭典です。この菩薩は13仏のひとつで、丑年、寅年の守り本尊といわれ、寺にある13仏の掛け軸のなかで一番上に位置し、亡くなった人の供養年会のうち33回忌を司る最もありがたい仏様であるといわれています。なぜ城跡で祭るのかはわかりませんが、古くからこの近在では標高約450メートルという最も高い山の頂でお祭りしていたのが戦国時09172_2 代たまたま城にされたのでしょう。昔はこの山頂まで縁起物や種板といって蚕の豊作を願うお守りのようなものが売られ、昭和30年代までは老若男女が大勢お参りしたものです。 さて松井田城址の関係では、中世の山城としては屈指の技術が施された「国指定史跡」にして恥ずかしくない史跡なのです。小田原北条氏の出城だったこの城は1590年4月に、秀吉の天下統一のために、前田、上杉、真田、武田などというそうそうたる武将たちの軍勢に取り囲まれて、30日ほどの対戦で落城、そしてそれ以降は誰も城としては使用されず420年の09173_2 間、ほとんどそのまま残されていたのです。(松井田バイパス工事によって一部開発)そのために、当時の築城技術のすべてが残され今に伝えているのです。もともと当時の城下町は今の国道がある松井田方面でなく「高梨子」でした。だから今でも「横町」などという地名、代官屋敷のあと、代官井戸、米蔵、牢屋のあとなど言い伝えに事欠きませんが、確かな古文書は見つかってはいません。かくいう金井家も「金井佐渡守」という3000石の扶持を与えられた与力だった事が、わずかに残された「家臣録」で伝わっています。そんな因縁もあってか、この0917_4_2 祭を守っているのは高梨子の金井、武井、藤巻の5軒だけになっています。山の上は昨年の豪雨のためか、大きな木が何本も倒れたり、がけが崩れたりしていました。お参りの人たちが転ばないように山道にたまった落ち葉をはいてきれいにしてきました。1月13日には丑年、寅年を問わず、登ってきてください。きっといいことがありますよ。お待ちしています。上り口には旗が2本立っています。

①松井田バイパスからの上り口

②尾根に上ったら西へ進みます。

③小高いところは、北条市よりも古い時代の城跡、安中氏が築城しました

④一画に「大道寺駿河守居城跡」とありますがこれは誤りです。

⑤一番高い東よりの山頂が本丸跡です。

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⑥東端の一段高くなっている部分に祠を構え、虚空蔵菩薩をお祭しています。(ただしふだん本尊は高梨子の無量寺に安置されています)

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