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2009年1月

2009年1月27日 (火)

2009年の新年会、10席でほぼ完了しました。あいさつも大変でした。

9125_009_2 新春のことはじめには新年会がつき物ですが、例年招待される定番の団体があります。今年も、10席、プライベートを含めると12席?、重なってしまって失礼したのが1席ありました。それぞれに、上席であいさつを頼まれますので、大変です。いつも同じの内容では失礼ですから、なるべくその団体、主催者に関係のある事柄、ニュースをもとに話します。25日は最終日、3団体の新年会がありました。 午前10時から老人クラブ連合会の席でした。(写真)私は「昨年のあいさつで、後期高齢者医療制度が始まり、お年よりは大変な年になります。と紹9125_007_5 介しましたがそのとおりになりました。全くひどい差別医療制度、全国で大きな反対の声が上がっています。75歳になりましたね、これからは何も心配せずに具合が悪かったらいっさい国が面倒診ますから安心して暮らしてください。・・・これが本来の福祉ではないでしょうか?介護保険も大変です。今年で10年目、また保険料を上げる計画です。先日テレビを見ていたら新宿の老夫婦「夫を殺して私も死のうと思ったことがある、でも親戚などのことを思ったらできなかった」という老老介護の切実な話がありました。こんな世の中どこかおかしいですよね。皆さんが安心して暮らせる社会にしていきましょう。」と述べました。お酌をしながら、はなしをきくと「金井さんのような人がいてくれて、ほんとに助かります」と言う声がありました。12:00からは磯部温泉会館、今度は「アメリカでオバマさんが黒人で初めての大統領になりました。日本でも、今年行われる総選挙で是非、政治をチェンジさせましょう」と話しました。最後は、湯の川別館で地元区長さんを前に、安中市の緊急雇用対策事業、イノシシ対策電柵事業についてはなし、要望を寄せてほしいと求めました。 これでようやく正月行事が終了し、正常な活動に入れそうです。でも今年は前橋の選挙で通常とは少し変則になるようですが。

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2009年1月23日 (金)

増田川ダムを考える公開討論会のお知らせ

917_018_2 松井田町上増田に20年ほど前に計画された「増田川ダム」のあり方をめぐって6年前から調査・研究を重ねてきた民間団体「増田川ダムを考える会(伊藤国夫会長)」が、「安中市の増田川ダム参画事業を考える」と題して、公開討論会を開きます。日程は、2月8日(日)、午後1時30分より、磯部温泉会館会議室、是非たくさんの市民にお出かけいただきたいとのことです。 増田川ダムに対する安中上水道部の主張は「開発水量は下方修正となりましたが、安中市の社会基盤の構築を図る上で必要な事業であり、将来にわたる水道水の安定917_028_2 供給のため、事業を推進していく」と言うもの、いっぽう考える会の主張は「上水道の水源はすでに足りており、増田川ダムからの新規水源の獲得は必要がないのでダム参画事業からは撤退が適当です」というものです。安中市長も参加して議論すると言う予定です。 増田川ダムの計画は当初一日当たり24,000トンを取水するというものだったのが、公共事業の見直しの気運の中で15,000トンに減り、07年の群馬県公共工事再評価委員会の審査にかかり、5,000トンまで引き下げられています。原因は、人口が減り続けていることによる水需要の低917_027_2 下、洪水調節機能のあいまいさ、などですが当初計画の5分の一まで計画変更されても、まだ300億円もかけてダムを造ることに執着するのでしょうか? 一方では、50年も前に建築した中木ダム(松井田町五料、妙義湖)の堆砂が予定の2倍の速さで進んでおり、もはや計画の半分の貯水量しかありません。この堆砂を処理するのには20億円もかかると言われていましたが、水道部ではなんら計画を持っていませんでした。日本共産党市議団の要求でようやく昨年度から1億円の基金を積み立てることになりました。 さて皆さんの意見はいかがでしょうか?是非出かけて両者の討論をお聴き下さい! *:写真上は中木ダム下流から、中、水がたまっているように見えますが、下、上流ではすでに大量の土砂で埋まっています。

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人権連市協の新年地域交流会ひらかる。あいさつと歌を紹介しました。

091_002_2 地域人権運動連合会安中市協議会(中村隆弘さん委員長)の新年旗開き(交流会)が磯部かんぽの宿で開かれ安中市長、安中市教育長、安中市議会議長、安中市福祉部長、人権連群馬県協議会委員長などと共に安中市日本共産党市議団が招待されました。来賓あいさつの中でわたしは「アメリカでは始めての黒人大統領が生まれ、大きくチェンジの年となった。リンカーンの奴隷解放宣言から150年、キング牧師の公民権運動から45年、翻ってこの日本は、相変わらずの、悪政と混迷政治、自公政治は終わりにして、今年の総選挙で大きく政治革新、変化の年にしましょう」と話しました。宴会もたけなわとなり、カラオケを求められた私は「松井田町歌」をアカペラで歌いました。これは松井田町合併30周年記念(S59年)に募集し制定されたもの、安中市となった今は幻の町歌となってしまいました。でもとても良い歌なので皆さんに紹介しています。歌詞を書いてみます。083_011_2     1  かみつけの西のみなもと 水きよきうすいの うすいの川よ 妙義嶺の若葉かがやき うまれ立つ風は 風はさわやか ああ 花かおる花かおる まついだ われらがふるさとわれらがふるさと  2 かみつけの西のやまなみ ひなぐもるうすいの うすいの坂よ さきもりの歌なつかしく 関所あともみじも もみじもゆかし ああ 夢さそう夢さそう まついだ われらがふるさとわれらがふるさと   3 かみつけの西のまほろば 茜さすうすいの うすいの里よ 喜びのこころあわせて 明日を呼ぶ力 力あふれる ああ 栄えゆく栄えゆく まついだ われらがふるさと われらがふるさと (作詞は現松井田文化協会支部長の清水正之さん) 

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2009年1月20日 (火)

どちらが本当の安中市?すみやすさランキングから。

08_6 新年の挨拶の中で岡田義弘安中市長は「群馬大学の調査では、群馬県内の市町村の中で、住みよい、と評価された順位は、安中市が一躍2位になった。1位は前橋市、地道な努力が報われた・・・」と述べています。  ところが日経新聞の2008年第6回全国市区の行政サービス調査による「住みやすさランキング」では、全国、783市、東京23区を対象、有効回答数750市区のうちで前回(06年、第5回・合併前)が478位だったのが、今回は662位となり群馬県では最下位にランクされています。県内順位①太田43、②前橋100、③伊勢崎236,④高崎、304,⑤渋川315、⑥位富岡327、⑦館林480、⑧藤岡488,⑨桐生558、⑩沼田651、⑪みどり659、⑫安中662となっているのです。いったいどちらが本当の安中市なのでしょうか?ちなみに、全国1位は滋賀県、世界一はカナダのバンクーバー、東京都の一位は武蔵野市などとなっているようです。  <調査方法>全国783市と23区(合計802市区)の行政改革担当セクションに08年9月1日現在で調査用紙を郵送し、08年10月中旬までに750市区から回答を得た(有効回答率93.1%)、評価は各自治体からの回答をもとに取材した上で結果をまとめた。項目は①透明度②効率化・活性度評価③市民参加(協働)度④利便度の4要素など計91項目だということです。皆さんはどうお考えですか?すみやすい、と感じる度合いは個人によって多少差異があるかもしれませんが・・・? 安中市は自然環境は良いですね。でも市街地を見るとちょっと驚きます。みんなが住みよい町とはどんな町?でしょうか。

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2009年1月13日 (火)

虚空蔵菩薩祭典が本丸跡で開かれました。

09113_004 毎年1月13日は、虚空蔵菩薩をお祭する日です。普段は高梨子の無住の寺「玉泉山無量寺」に安置している菩薩像を、標高約450mの、松井田城本丸跡の城山まで運び、一日お祝いをしています。虚空蔵菩薩は「丑、寅年の守り本尊」としてあがめられています。今日は、風が強く寒い日でしたが森の中は比較的穏やかでした。昔の賑わいについては前回述べましたが「本尊様」などを信心するお年寄りが少なくなったせいか、年々参拝客が減っています。それでも毎年来てくれる人との再会で「おめでとうございます、今年もよろしく」などと挨拶が交わせるのが何よりの喜びです。せっかくここまで登ってきてくれる人のために「モチ花」を用意して、持ち帰ってもらいました。昨日は、お供えや煮しめ、お赤飯つくりなどと、妻は夜中まで奮闘してました。おかげでおいしい料理を食べながら一日、と言っても3時ごろまで、祠で過しました。参拝客は約20人、店じまい寸前に下仁田から姉妹で「山城が好きであちこちに09113_006_2 登っていますが、いいところですね」と言って犬を抱きながら若い女性が訪ねてくれたのが一番の収穫でした。もちろん、「松井田城物語」を聞かせてあげましたけれど・・・。また来年までさようなら。

09113_010_2 ◎上から、菩薩像(安政4年の作です)、中・小さな祠で一日過します。下・モチ花(手前の樫の葉につけたもち)と祠。

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2009年1月12日 (月)

成人式、安中の新成人は665名、70%ほどが出席しました。

11_004_2 12日が成人の日ですがほとんどの市町村が11日の日曜日に行うようです。安中市では19年の成人の日から安中文化センターで開いています。私は初めての参加でした。式典は昔から変わり映えしないオーソドックスなスタイルで行われました。開式前には、地元の谷津太鼓の皆さんが演奏してくれました。あいさつは、市長(式辞)、議長、県議とあり、最後は新成人の男女2人が意見を述べました。印象に残ったのは安藤あゆみさん(新堀)の言葉、9年前に父親をなくしたが、今は大学でダンス部長としてがんばっている。家族、親戚、これまで世11_013_2 話になった皆さんにありがとう、と言いたい。というものでした。 もうひとつは、 来賓の席はステージに一番近い最前列からでしたが、太鼓の演奏中、新成人の席(うしろの方)のざわめきは止まることがありませんでした。演奏よりもおしゃべりに夢中って言う感じでした。式典のあとは、各旧町村ごとに分かれて写真撮影でしたが、奇抜な着物やヘアースタイルに毎年驚かされるのが最近のファッションでしょうか。ちなみに新成人の数ですが、原市140、安中114、板鼻55、磯部53、東横野47、秋間28、岩野谷27、後閑16以上が安中、西横野51、松井11_009_2 田23、九十九21,細野21、臼井16、坂本8人が松井田町です。よく見ると原市の人数と松井田町全部の合計が同じになっています。なお市外からの申し込みが45名ありました。全員で665人ですが出席率は70%ほどだそうです。

◎2枚目は安藤あゆみさんのスピーチ、3枚目は美女5人組、最後は玄関前で記念撮影、好転に恵まれてよかったですね。私の娘のときは大雪で大変でした。

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2009年1月11日 (日)

どんどん焼

11_001_2 昔からの正月の行事、もともとはわらで作ったしめ縄や松飾を燃やした火で、まるめた繭玉(団子)を焼いて食べると風邪を引かない、または厄年のものはこの日小正月の前の日すなわち1月14日に、みかんやお餅を集まった人に分けてあげると厄払いができるという言い伝え(慣習・風俗)で村々の辻(多くは道祖神などのある場所)で火をたいていました。地域によって子どもたちが竹で作った飾りの中で一晩寝泊りしていたところもありました。  現在では、辻ではめったに行われず、麦が栽培されなくなった冬田で、子ども会育成会などが中心にもっぱら、子どもたちに繭玉を食べさせたり、みかんやお菓子などを配って楽しませる目的で行われるようになりました。したがって日取りはその年によって変わります。ことしは11日が多かったようです。(写真は高梨子で行われたどんどん焼き)

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2009年1月 7日 (水)

松井田城址の掃除に行ってきました。虚空蔵菩薩の祭典準備のためです。

0917_1_2 七草も過ぎて穏やかな日だったので「虚空蔵さん」の準備のために松井田城址の掃除に城山へ登りました。虚空蔵さんとは、松井田城址の本丸跡に建つ小さな祠で祭られている虚空蔵菩薩の祭典です。この菩薩は13仏のひとつで、丑年、寅年の守り本尊といわれ、寺にある13仏の掛け軸のなかで一番上に位置し、亡くなった人の供養年会のうち33回忌を司る最もありがたい仏様であるといわれています。なぜ城跡で祭るのかはわかりませんが、古くからこの近在では標高約450メートルという最も高い山の頂でお祭りしていたのが戦国時09172_2 代たまたま城にされたのでしょう。昔はこの山頂まで縁起物や種板といって蚕の豊作を願うお守りのようなものが売られ、昭和30年代までは老若男女が大勢お参りしたものです。 さて松井田城址の関係では、中世の山城としては屈指の技術が施された「国指定史跡」にして恥ずかしくない史跡なのです。小田原北条氏の出城だったこの城は1590年4月に、秀吉の天下統一のために、前田、上杉、真田、武田などというそうそうたる武将たちの軍勢に取り囲まれて、30日ほどの対戦で落城、そしてそれ以降は誰も城としては使用されず420年の09173_2 間、ほとんどそのまま残されていたのです。(松井田バイパス工事によって一部開発)そのために、当時の築城技術のすべてが残され今に伝えているのです。もともと当時の城下町は今の国道がある松井田方面でなく「高梨子」でした。だから今でも「横町」などという地名、代官屋敷のあと、代官井戸、米蔵、牢屋のあとなど言い伝えに事欠きませんが、確かな古文書は見つかってはいません。かくいう金井家も「金井佐渡守」という3000石の扶持を与えられた与力だった事が、わずかに残された「家臣録」で伝わっています。そんな因縁もあってか、この0917_4_2 祭を守っているのは高梨子の金井、武井、藤巻の5軒だけになっています。山の上は昨年の豪雨のためか、大きな木が何本も倒れたり、がけが崩れたりしていました。お参りの人たちが転ばないように山道にたまった落ち葉をはいてきれいにしてきました。1月13日には丑年、寅年を問わず、登ってきてください。きっといいことがありますよ。お待ちしています。上り口には旗が2本立っています。

①松井田バイパスからの上り口

②尾根に上ったら西へ進みます。

③小高いところは、北条市よりも古い時代の城跡、安中氏が築城しました

④一画に「大道寺駿河守居城跡」とありますがこれは誤りです。

⑤一番高い東よりの山頂が本丸跡です。

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⑥東端の一段高くなっている部分に祠を構え、虚空蔵菩薩をお祭しています。(ただしふだん本尊は高梨子の無量寺に安置されています)

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2009年1月 6日 (火)

賀詞交歓会・出初式(はしご乗り)、新春の行事です。

0915_001_2 5日に安中市の賀詞交歓会がありました。商工会、JAとの共催です。午前11:00に開会、岡田義弘市長、土屋弘議会議長、岩井均県議、茂木英子県議らが新年の挨拶を行いました。乾杯の発声は安中商工会の武井宏氏、約200人ほどが集まりました。        

市役所の前庭では午後1:00から、恒例の「安中若鳶会」による出初式、はしご乗りが披露され、市職員、駆けつけた市民らが歓声と拍手を送っていました。 今日から仕事始めです。

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2009年1月 4日 (日)

輝く空

002_2 元旦からブログの表示がおかしくなり、1月1日の画面を開くとエラーになってしまいます。ためしに新たなブログを書いてみました。どうなるのかな?

①12月9日の朝焼け(自宅2階から)

08727_005_2 ②7月27日の夕焼け(田んぼから浅間山を見る)

0812_001_2 ③12月20日?(原市から妙義山)

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