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2008年12月22日 (月)

安中の歴史を学びました。淡路博和先生が講師です。

40081214_006_2 非戦の会(非戦の願いを継ぐ安中・松井田の会)会長は中嶋昇太郎さん(安中市安中)では、2カ月おきに学習会を開催して、郷土の歴史、戦争にかかわる記憶、平和のための行動などなど実施しています。12月は14日、郷土史家の淡路博和さん(元新島学園教師)を招いて安中の歴史を話していただきました。学生のころは歴史は大嫌いだったという話から始まった先生の話は、古文書を読み解いての解説ですから、大変幅広く、深いものでした。もともと土着の民だった安中氏は、中世のころ松井田町に山城を築き郭(後の松井田城の一部と08118_010_2 なる)を残しましたが、武田軍に敗れ、織田信長と戦うために武田軍の最前線に駆り出され歴史に名高い「長篠の戦い」で全滅をさせられてしまい、一族はちりじりになってしまったということです。当時(1569)もともと安中という地名がなかったのですが、時の権力者が、上野尻を安中と呼ばせ、それまでの上野尻は城の西へ移されてしまったそうです。そのために上野尻と下野尻との間に谷津という地名が挟まっているのだそうです。しかし地名は残らず、安中町ができたのは明治時代のことだそうです。江戸時代から5家16代といって安中藩を治めたの08118_012 は、井伊、水野、堀田、板倉、内藤、板倉家などが碓氷の関所の警護を担っていたのだそうです。しかし昔から豊かな藩財政ではなかったようで、享保の時代には、重い年貢の取立てに抗議した名主が中心の直訴(下増田村の潮籐左衛門が首謀者として処刑されたといわれている)や、天明の飢饉の際にも年貢減免の一揆が続いたと記されているそうです、文政10年(1827)の藩の収入が年貢諸税で6,717両しかないのに、支出は借入金返済などで10,668両となっており、当時も今とおんなじに借金財政の政治が行われていたようです。 ※写真 上、淡路先生の講演、中、郡役所、下、安中教会

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