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2008年8月16日 (土)

終戦記念の日、街頭から平和の尊さを宣伝しました。

08815_006_2  8月15日は日本がポツダム宣言を受け入れ、天皇が敗戦を認めた日です。あれから63年目と言うことで、毎年の行事としている街頭宣伝に出かけました。安中市内を約1時間半、松井田町内で40分くらい、桜井ひろ江議員が流しで「平和への祈りを新たにする日です。日本共産党はあの侵略戦争に反対した、日本の政党でただひとつの党です。これからも平和憲法を守ります」と市民に呼びかけ、安中市役所前で桜井ひろ江議員が,松井田町支所前で私が10分程度の演説を行いました。私は「戦後生まれの国民が80%、先日見たビデオのアンケート8815_002_3 で8月6日は何の日か?答えられない若者が増えていると言うことは戦後の日本の教育がきちんと日本の近代史を教えてこなかったことに原因がある。欧米各国では歴史教育は、現代史をまず教えさかのぼって国の歴史をしっかり考えさせるのだそうです。平和憲法にしても、日本人310万人、アジアの人民2000万人が犠牲になったうえに、『これからは紛争解決のためには戦争をしません。陸・海・空の戦力は持ちません。』と誓った世界で初めての非戦憲法です。それをアメリカの言いなりになって何度も踏みにじって、イラクやアフガニスタンへ自8815_003_5 衛隊を送っている。一方で後期高齢者医療制度などで、お年寄りから医療費や保険料を取り立てる、5兆円も軍事費に充てる金があれば国民にまわすべきではありませんか!民主党も『恒久的に自衛隊を海外へ派遣できる法律を作ろう!』などと物騒な政策を持っているところは自民党と同根です。憲法を守り、非軍事で世界の平和を目指す、日本共産党にご協力を!」と結びました。暑い中でしたが途中で冷たい麦茶の差し入れもあり、久々の街宣でした。私の叔父金井典行(父の弟)も、昭和12年召集されて、中国全土を転戦、2度の負傷を受けながら除隊することなく、昭和14年2月5日、中国東北部で戦死しています。享年25歳でした。残っている遺品を時々出してみることがありますが気の毒で悲しくなります。今は、わずかな遺族への特別弔慰金(年4万円の国債)で慰めていますが、二度とこんな無謀な戦争などさせてはならない、とあらためて思うと同時に、そろそろ国民も、こんな政治、政治家がのさばっている社会を変える気持ちになって欲しいとあらためて思う一日でした。

写真中は、射撃大会の賞状、陸軍写真帖、訓練の要点を記述したノート。下は、家族、親戚からの手紙類(遺骨とともに実家に届けられたものの一部)

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コメント

お仲間の中国共産党にもちょっとは説得したらどうなんだい?
人の国から貰った金で軍事強めてるっつーのに言わないんだね

投稿: | 2008年8月16日 (土) 17時55分

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