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2008年8月

2008年8月31日 (日)

イノシシ対策の電気柵を設置、これでひとまず安心。

08831_007_2  ジャガイモ、サトイモ、かぼちゃなどあらゆる野菜を一夜にして台無しにしてしまうイノシシ対策のため、電気柵を張り巡らしました。5軒の農家で約100アール、延長約600メートル、電気コードに少しでも草が接触すると効果がなくなるのでコードの下は常にきれいにしておかねばなりませんが、畑のために草退治が大変だと言うことで、柵の下に草の生育を抑える「防草シート」を張り、その上に電気のコードを巻きつけるポールを3メートルおきに設置しました。朝6時から始めて、シート張りに4時間もかかってしまい大変でした。その後はポールたて、コード張りとお昼までには何とか仕上がりました。電源は家庭の電気を引き出したために経費は安く上がりそうです。しかしこれまで08831_003_2 は毎晩のように大きな足跡と小さな足跡が畑中に見られましたが、これからはなんといっても安心して野菜が栽培できるので喜んでいます。ただ心配は、これまで出没していたイノシシたちが、今度はどこへ移動するのやら?まだまだ、しばらくはイノシシとの知恵比べが続きそうです。(写真説明:上、もうすぐ食べられると言う時期にすっかり食べ散らかされたサトイモ畑、中、シートの上にポールを立てていきます。下、それぞれの畑の出入り口にはゲートを設置しています。グリップをもってはずせば中に入れます。)

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2008年8月26日 (火)

”サル軍団出る”野生動物の出没する季節になりました。

088_001_2 松井田町新堀、信越線碓氷製糸踏切から西、約300メートル、旧中仙道を横川方面から松井田に向かって車を走らせていたら線路際に野性のサル軍団が見えました。カメラで2枚撮りましたが、3枚目を車窓から出して構えたとたん、すばやく姿を消してしまいました。近所に住むおばさんが言うには「最近たびたび出てきては屋根に登ったり柿の木に登ったりしているんです。困ったものです。」とのこと。そういえば幾頭かは口にまだ青い柿の実と思われるものをくわえていました。全部で7~8頭、すぐそばでは草刈機がビービーうなっているのに平気で人家近くへ出てきたようで、これから畑の野菜や栗、柿などの木の実が成るころ、今から下見をしているようです。イノシシも我が家の畑周辺を我が物顔で荒らしまわっています。次の日曜日には、電気柵を張り巡らせる予定です、威張って動けるのも今のうちか!それにしてもサル、イノシシ、熊と、これから野生動物の出没時期がやってきます。被害が少ないことを祈るばかりです。

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2008年8月22日 (金)

夏の終わりに、首や肩の痛みに悩まされています。

80888_005_2  暑かった夏もようやく終わりに近づいてきました。地球規模の気候変動が年々叫ばれていますが、温暖化や豪雨、日照りなど身近に感じられるようになりました。北極の氷が解ける様子やヒマラヤの氷河が消えているなどというテレビをみると、何とかならないのか?と思います。そうかと言って、この暑さの中で省エネのためにエアコンを止めるわけにはいかず、矛盾した生活を送っています。でも、運転中はなるべくエアコンはかけず風を切って走り、信号待ちではエンジンを切ることをはじめました。 ところが最近、朝起きると首筋から肩に8088_003 かけて痛みが固まったように重くなり苦しんでいます。「冷房病」かなとも思いましたが、治療してもらった鍼灸師に聞いて首にタオルを巻いて寝ましたがあまり変わらないようです。冷房・運動不足・体力低下などなどいろんな要因があるのでしょうか?妻は、まだマムシに咬まれたあとが完治せず、料理や家事に不都合し、そのせいで肩もこっているようです。健康が何よりですね。 

写真:スイレン、夏水仙の群落、稲の花(午前中のわずかな時間に開花そして、甘い香りが漂います)

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2008年8月17日 (日)

妻が退院、職場に復帰しました。

08814_001_2  自宅の庭で草取りをしていた妻が思いもかけないマムシに咬まれ碓氷病院に3日間入院する羽目になりました。聞くところによると、八城から行田にかけて開発している大見山では、かつてたくさんのマムシが見られた地区でしたが、上信越自動車道路建設の過程でトンネル工事から出る土砂を捨てる場所に選ばれ埋め立てが行われた結果、それまで大して見なかったマムシが対岸の文化会館の西地区の山林原野で頻繁に見かけるようになったということです。おそらく住処を失ったマムシが右岸から左岸へ生息地区を移したのだろうといいます。08814_002_2 だから、ここ5年間、高梨子の基盤整備事業で川を挟んで水田を区画整理工事したために、マムシが住処を替えて右岸の人家沿いに移ってきたのだろう、と言う人がいました。住む人が減ってマムシが増えたのでは困り物ですが自然の変化には太刀打ちできません。せいぜい、家の庭のマムシの隠れ家となりそうなところへ忌避剤や線香などで出て行ってもらうしか手がありませんでした。妻の指はまだ水泡が残り痛みがあるということです。手の甲や腕の腫れはすっかり引いたようですが二の腕には内側に青紫のあざのようなものが残っていました。(14日現在)15日には通院で傷の手当をしただけで16日からは職場に出かけられました。ご心配かけました。皆さんもぜひお気をつけを!

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2008年8月16日 (土)

終戦記念の日、街頭から平和の尊さを宣伝しました。

08815_006_2  8月15日は日本がポツダム宣言を受け入れ、天皇が敗戦を認めた日です。あれから63年目と言うことで、毎年の行事としている街頭宣伝に出かけました。安中市内を約1時間半、松井田町内で40分くらい、桜井ひろ江議員が流しで「平和への祈りを新たにする日です。日本共産党はあの侵略戦争に反対した、日本の政党でただひとつの党です。これからも平和憲法を守ります」と市民に呼びかけ、安中市役所前で桜井ひろ江議員が,松井田町支所前で私が10分程度の演説を行いました。私は「戦後生まれの国民が80%、先日見たビデオのアンケート8815_002_3 で8月6日は何の日か?答えられない若者が増えていると言うことは戦後の日本の教育がきちんと日本の近代史を教えてこなかったことに原因がある。欧米各国では歴史教育は、現代史をまず教えさかのぼって国の歴史をしっかり考えさせるのだそうです。平和憲法にしても、日本人310万人、アジアの人民2000万人が犠牲になったうえに、『これからは紛争解決のためには戦争をしません。陸・海・空の戦力は持ちません。』と誓った世界で初めての非戦憲法です。それをアメリカの言いなりになって何度も踏みにじって、イラクやアフガニスタンへ自8815_003_5 衛隊を送っている。一方で後期高齢者医療制度などで、お年寄りから医療費や保険料を取り立てる、5兆円も軍事費に充てる金があれば国民にまわすべきではありませんか!民主党も『恒久的に自衛隊を海外へ派遣できる法律を作ろう!』などと物騒な政策を持っているところは自民党と同根です。憲法を守り、非軍事で世界の平和を目指す、日本共産党にご協力を!」と結びました。暑い中でしたが途中で冷たい麦茶の差し入れもあり、久々の街宣でした。私の叔父金井典行(父の弟)も、昭和12年召集されて、中国全土を転戦、2度の負傷を受けながら除隊することなく、昭和14年2月5日、中国東北部で戦死しています。享年25歳でした。残っている遺品を時々出してみることがありますが気の毒で悲しくなります。今は、わずかな遺族への特別弔慰金(年4万円の国債)で慰めていますが、二度とこんな無謀な戦争などさせてはならない、とあらためて思うと同時に、そろそろ国民も、こんな政治、政治家がのさばっている社会を変える気持ちになって欲しいとあらためて思う一日でした。

写真中は、射撃大会の賞状、陸軍写真帖、訓練の要点を記述したノート。下は、家族、親戚からの手紙類(遺骨とともに実家に届けられたものの一部)

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2008年8月13日 (水)

地粉50%のパンを作ってみました。

08812_008_2 入院している妻が食欲がない、胃がムカムカする、といって病院の食事が取れないのでパンを焼いて食べさせました。近頃粉類が値上がりしているので姉のところで自給している地粉をもらって、半々で焼いてみました。20年ほど前から使っているパン焼き器で発酵させてオブンで焼いたものです。つくり方、材料は地粉200㌘、強力粉200㌘,砂糖50㌘、塩5㌘、バター25㌘(なかったのでマーガリン50㌘使いました)牛乳280cc,ドライイースト5㌘、卵1個、くるみ、ゴマ(好み)①まず材料を器械に入れ、約2時間こねて発酵させる。②3時間た08812_003_2 って開けてみたら、写真のように発酵して盛り上がっていました。③取り出して16等分して2次発酵させます。(35分)④オブンから取り出して、ゴマと胡桃をトッピングにして、卵の黄身を塗り再びオブンで焼き上げます(180度、10分)、なかなかおいしいパンになりました。おかげさまで妻の容態も回復し午後帰宅することになりました。

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2008年8月11日 (月)

マ・ム・シにご用心。妻がかまれて入院しました。

08810_001_5 日曜日の夕方、午後4時30分ころ庭で草むしりをしていた妻が「お父さん、蛇にかまれた!」と叫びました。たまたまそばにいた私は「どんな蛇だった?」と聞くと「20センチくらいで茶色と白のようだった」といいます。たぶんマムシではないだろうと思いながらも、もしかしてと考えて、かまれた右手中指を見ると血がにじんでいます。指の元をゴムで軽く止めて口で3回ほど毒素を吸い出しました。そのまま休日当番医の碓氷病院に電話し駆けつけました。医師の診察で見せてもらったマムシの咬みあとの写真は、紛れもなく妻の指に残っているものとそっくりでした。特徴は、1センチ間隔で2つの咬みあとが並ぶ。というもの、これは間違いなくマムシだと納得しました。それでも医師は「はっきりそうだとは言い切れませんがマムシなら手や腕がはれてくるでしょうから、とりあえず切開して毒素を出して、その後点滴をしてしばらく様子をみましょう。入院してください」ということになりました。しばらく止血状態だった指を切開するときにはすでに水疱ができていたようです。診察が終えて血液検査、心電図、レントゲンなどの検査をしているうち、手の甲が08810_2 はっきりと膨らんでくるのがわかりました。妻は「腕がしびれてきた、腕の付け根まで痛い」といってベッドで点滴を始めました。その後、血清注射(点滴から入れる)のための処置や他の注射をし、アレルギー反応などを確認し手からようやく血清を入れ始めました。それまで4時間くらいかかりましたが腕のしびれや傷みが増してきたようです。医師の話では、2日目くらいにわたって腫れる、と言っていましたが、私が脇で寝ておきたときには、手の甲の腫れは同じようでしたがそれ以上に腫れは進行しないで、だいぶ傷みは引いていたようです。マムシのいた場所はデッキのそばの花壇、もみじの木がある場所で、とてもマムシがいるとは思えません。これも暑さのせいでどこからか迷い込んだのでしょうか?皆さんもご自分の庭だとしてもお気をつけください。

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2008年8月10日 (日)

安中生活と健康を守る会が再建されました。

Photo_2  一人では言えないけれど仲間みんなで言えば、要求も実現するものです。「生活と健康を守る会」は、戦後間もないころ、失業で苦しむ人、結核などで病気療養しながら、生きている人々が中心に結成された「働かせろ!食わせろ!病気を治せ!」をスローガンに1954年、全国生活と健康を守る会連合会が結成され、ついで全国に会が結成されていきました。 60年代には生活保護を受けていた朝日茂さんという人が「この金額では生きていくことができない。新憲法では、健康で文化的な最低限度の生活を保障する、とある」として、政府の生活保護行政の不備を訴えて裁判(朝日訴訟)で闘い、勝利し、社会保障制度の向上を全国に呼びかけたことから、「国民の権利としての社会保障」という自覚が国民に生まれました。松井田町、安中でも1970年前後から活動が始まりましたが中心になる活動家の減少で中断していました。松井田町が合併により新安中市になったことから「再建して今のこのひどい福祉行政を改善させていこう」と有志が努力し、このほど再建総会が実現し、41名の会員で再スタートを始めることになりました。(新会長に長沢尚元市議)   後期高齢者医療制度をはじめ介護保険、医療費の増大、年金の不安、派遣労働者の使い捨てなど等、いつの間にか日本の社会構造は、どこかおかしくなってはいませんか? 1970年代、東京、大阪、京都などが革新政党に支持された方々が知事に当選したころ「70歳以上のお年寄りの医療費は無料」とされていたのです。今はどうでしょうか?お年寄りいじめの政治ばかりではありませんか。ソ連もなくなり、もう軍事費にお金をかける意味もないはずなのに、アメリカの言いなりで5兆円も軍備にかけている、世界一の自動車生産企業などへ、たっぷり減税している、それでお金がないというのは本末転倒です。国の財政の原則は「入るを計って,出ずるを制する」でなく「出ずるを計って,入るを制する」だということ、ある学者が書いています。それもそうです、家計は自分の勝手に収入を増やせませんが、国はそれができるのですから。 「一人はみんなのためにみんなは一人のために」が政治の原則です。

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2008年8月 7日 (木)

冷やし汁ご飯はおふくろの味です。

0887_003_2 今日は立秋、名ばかりの秋ですがこれから一段と暑くなりそうです。そこで昼間に食欲が出ない。という人に簡単な「冷やし汁ご飯」の作り方を教えます。これは私が母(大正2年生まれ~昭和63年没)の味を思い出して、毎夏、家族につくって食べさせる金井家の味です。暑くて昼飯が食べたくない、という方はぜひ試してみてください。①まず用意するもの、ご飯は洗って水を切っておく。煎りゴマ、梅干、キュウリ、青しそ、その他お好み。氷。②すり鉢(方言でしらじ)にいりゴマをすり、生味噌、梅干を加え混ぜる。③ご飯を入れ、キュウリを薄く切って水を注ぎ0887_002_2 氷を浮かべ出来上がり。水でなく、だし汁を冷やしておいて使えばさらにおいしい)味噌は案外多めの方が良いみたいです。軽く2杯分のご飯は食べられますよ。食欲不振でバテ気味な方はお試しください。 尚、味噌もゴマも量については適当です。子どものころ夏の暑い日には必ずこの冷汁を食べて、遊んだものです。

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2008年8月 6日 (水)

63年目の原爆忌で感じたこと。

Hiroshima_summer_072_2  今日8月6日は、世界で初めて人類の上に「原子爆弾(ウラニウム型)」が落とされた日です。ヒロシマの平和公園で祈念追悼式が開かれるのを聞きながら、8時15分に車中で黙祷をしました。(信号待ちで)思えば最初にヒロシマへ行ったのは昭和49年の夏でした。中学校の教科書に原爆の記述はありましたが、きのこ雲の写真以外知識はありませんでした。「原水爆禁止世界大会1974」に参加して、下半身不随の体で母親に抱きかかえられて発言する「渡辺千恵子さん(原爆乙女の会)」の発言や被爆者のお宅を訪ねお年寄りの「体験」を聞きました。原爆資料館で被害の現物を目の当たりにして、涙が止まりませんでした。たった一発の爆弾でこんなひどい惨劇が起こされたなんて、しかもその時点では被爆者に対する援護が、いまだに国のサボタージュによって行われていませんでした。いや、21世紀の現在でも、まだ十分な健康対策はされず、被爆者の認定でさえ厳しく制限しているのです。今日の式典で犠牲者の名簿が25万8千人余と報告されました。米国は今でも「日本に降伏させるため必要だった、あれでより多くの戦死者を出さずにすんだ」と原爆投下の正当性を主張しています。しかし実際、当時もう日本の敗戦は時間の問題だったし、原爆投下は、ソ連のアジア進出に対する威嚇と「原爆の人体実験」にほかなりません。日本の政府はそのアメリカの核の傘の下で、利用されているために、アメリカの顔色を伺うだけで国連の「核兵器廃絶の決議」に賛成したことがありません。 アメリカの鎖を断ち切って世界初の被爆国として「核兵器はいらない、ヒロシマ、ナガサキを見てください」と毅然と訴えるようにならなければ「世界で名誉ある地位を占めることは永久にできないのではないでしょうか」 ヒロシマの夏はあの時も、今日も暑いそうです。原爆ドームの脇を流れる元安川のほとりで、まだ赤い夾竹桃は揺れているのでしょうか。今日は平和を願う特別な日です。

Hiroshima_summer_055_2 上は原爆資料館。下は被爆前の広島市の模型。青い屋根が原爆ドームとして残りました。川にはさまれた中州が今の平和公園です。

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2008年8月 2日 (土)

原爆写真パネル展の展示をしました。見てください。

08_003_2  街頭で「8月6日に、広島で何があったか知っていますか?」というアンケートをとったら、数字は忘れましたが相当数の人たちは「ヒロシマに原子爆弾が世界で初めて使われ、20万人もの人たちが殺された」ことを知らない、というショキングなことが報道されていました。敗戦から63年、日本の教育はあの侵略戦争をまともに子どもたちに教えてこなかったのです。長く政権を握っている自民党政府が政治的といえば、教師もマスメディアも「決して深く立ち入らずに避けて通ってきました」、夕べ初めて行き会ったアメリカと中国の青年は2週間ほどの日本Hiroshima_summer_052_2 滞在でヒロシマを見るために計画の中に入れていました。外国では、歴史の教育はまず現代の政治、経済から教えていくといわれます。日本では丸暗記で点が取れる「縄文、弥生時代」から教えてくるために近代史はほとんど深く教えてもらえません。だから太平洋戦争で日本人が中国で、朝鮮で何をしたのかそれらの国の青年たちとの討論にならないといわれています。自国の歴史をたとえそれが時には罪深いことがあったとしても「知らなかった」では国際人には認めてもらえないでしょう。自虐的だとか、皇室を侮辱しているとか、理屈をつけて日本の子どもたちに真実を知らせず、目隠しをしている右翼的な人たちにも国際人として「歴史の真実に」眼を広げてほしいものです。  ※碓氷安中原水協(中嶋昇太郎理事長)が安中市総合体育館のロビーと松井田支所のロビーに、広島、長崎の原爆被災の写真パネルを展示し始めて10年になります。1日から15日の終戦記念日まで展示していますので、ぜひご覧ください。(写真上は支所ロビーの展風景、下は原爆で焼き尽くされたヒロシマの町)

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うすいの里の納涼祭でJamesと Forestという外国人と出会いました。

08_005_2  昨夜はうすいの里特別養護老人ホーム(70人、内田守施設長)の納涼祭がありました。型どおりの挨拶があり、松井田峠太鼓の演奏、施設職員のダンス、入所者による器楽演奏、地域婦人会による盆踊りなどがありにぎやかに行われました。模擬店では松井田商工会の青年部、女性部などがおいしい焼きそばやじゃがバター、かき氷などを作って無料でお客さんにサービスしてくれました。入所者の皆さんも久々に家族、親戚、友人の方々に行き会ってとてもうれしそうでした。 さて、峠太鼓のメンバーの中に毎年、教育委員会のアシスタント言語教師(ALT)として松井田町で英語を教えている女性が加わっています。今回はMerinda Berkmanさんといい、愛称はミンディです。彼女はカナダ、バンクーバー市出身で8月6日には任期2年を終えて国へ帰ります。だからこの演奏が最後のようです。そのミンディの帰国にあわせて2人の友人が訪ねてきました。ジェイムス、とフォレストの男性です。ミンディと同じ大学での友人だそうです。ジェイム08_010_2 スは米国のシアトル、フォレストは中国、上海市の出身だそうです。ミンディはたくさんの教え子、中学生たちに囲まれて大人気、みんなお別れが近いことを知ってちょっぴり寂しそうでした。2人の友人は私のうち(ホームから300㍍位)へ寄せて夕食を食べさせ、話をしました。ミンディは太鼓のグループと涙を浮かべながら写真を撮って、最後のお別れを惜しんでいました。08_009

黒のTシャツがジェイムス、黄色がフォレスト、青いパンツは中学3年の未来さん、英語が抜群にうまい子でした。(左の写真) ミンディと高木昭子さんと記念写真(右)

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